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赤い電車は臼い線

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2015年 03月 23日

日曜日のUT~3月22日の場合

UT(上野東京ライン)がスタートして1週間が経ちました。事前の広告や告知が徹底していたせいか直通客の利用は多く、そもそもの目論みであった京浜東北等の旅客を転移させ混雑を緩和する事は達成されつつあるようです。他方、オール東京始発の恩恵があった東海道沿線民にとっては事実上の始発全廃(23時以降の設定)はもとより、招かれざる混雑を持ち込まれあたかもSS(湘南新宿ライン)開業前の地獄絵図が再来しつつある事、更には夕ラッシュ時でもなりふり構わず10連が充当されるなど怒りの導火線が目白押しです。

とりわけ編成両数にしてはかなり評判が悪く、一昨日の土曜日の早番で退勤した職場の同僚(横浜下車)曰、く16時台の南行が10連で東京から乗ろうにも「パンパン」だったとのこと。正直よそ者の初乗りだけで混雑の大部分を成しているとは考えにくく、やはり直通性が買われてニーズが増大しているのだと思います。であるならば、京浜東北からの転移の受け皿としてキャパ(編成両数)を拡大するのは当然な筈で、それどころか時間帯によっては減車、そして近親者の証言では改正前10連であったのが15連になったいう増車のケースがある等マチマチで、適材適所の体勢が取られていないように感じます。

SSの開業が2001年、SSの終日運行開始が2004年、それからSS籠原以南全列車終日15連に漕ぎ付くまで11年かかっていますから、果たしてUTの全列車終日15連化はなされるのでしょうか。東京乗り入れ「新参」の常磐線電車が、我が物顔の15連で東京駅に乗り入れてくるのが憎たらしくてなりません。
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昨日の退勤後はそんなUTの現状をツマミ食い・・・早速「憎たらしい」常磐線が入線してきました。E531系は10連運用がありますが、E231系0番台は目にする列車列車が15連です。10連運用はあるのでしょうか。
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日曜日の19時も回った頃ですが、体力に糸目をつけないレジャー客で北行ホームは混んでいます。特に常磐線待ち旅客の多い事!この点ではUT開業は成功裡と言えます。しかしくどいようですが、旅客転移の受け皿としてのキャパが全然駄目です。画像の通り7番線のE231系は10連です。
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9番線に19:34発の発車案内が見えますが、何と始発です。土休日ですと夜間の「アクティー」(平日は通勤快速)が始発なのですが、19:34発は所定であれば10番線発であるばかりか宇都宮からの直通列車です。
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北行の常磐線が入線してきました。ハコにもよりますが東京駅で満席となり立ち客も出るほどの盛況振りですが、やはり15両のキャパ故にか後部のハコはかなり空いており分散乗車が求められます。
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件のニセ始発小田原行きですが、通りがかった交代要員のレチに本件を尋ねるも把握しておらず要領を得ません。駅構内のアナウンスによれば宇都宮線内での車両故障により北行に運休が発生しているようで、それと関連があるのかも知れません。果たして9番線には折返し19:34発小田原行となるE231系が入線・・・ニセではありませんでした。前面の「東海道線」表示と傍らの発車案内の「始発」文字が全てを物語ります。
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列車番号は1634Eで、所定ならば宇都宮行ですがやはり東京~宇都宮間がウヤとされたようです。旅客降車後は(東京駅では)昔懐かしい作業となりつつある「一旦ドア閉め」による車内整備/整列乗車がなされますが、このようなイレギュラーであってもグリーン車の整備要員は直ぐに手配できるのでしょうか。東京駅では改正前はオール始発でしたから、絶えずグリーン車の整備要員の姿をホームで目にしたものです。
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そしてこちらは、待望のピク誌です。
編集サイドの世代からして誌面内容はかなりジジ臭く、それがピク誌のよいところでもありますが、特に印象深いのは変わりゆくチタ区跡地の定点記録。戦前に計画され幻に終わった「京浜線急行運転」の高架線は永らくその姿を留め旧ブログでも折に触れてきましたが、その消滅の過程がこうして公に残った事は万感極まるもので、涙する思いがします。これだけでも他の商業誌のUT特集の追随を許しません。

上野~東京間の列車線時代の旧い記録もふんだんに盛り込まれ、とりわけカラー項でのEF80牽引の御料新一号編成のお召列車は目に沁みます。1976年5月撮影というこの記録ですが、お召列車の類は原宿の宮廷ホームからの発着がデフォであったのを考えると相当珍しいものです。

私自身の列車線の記憶ですが、父が佐久の出身ですから帰省の折の「あさま」に乗車すべく、本郷台から上野まで延々と103系に揺られた過程で目にしています。その頃はまだ回送線として機能していたものの走行列車は目にしておらず、他方、秋葉原の貨物ホームが脳裡に深く刻み込まれています。その貨物ホームは本来の役目を喪失し電留線として用いられていましたが、リレー号色の185系が留められていたのと、それが貨物ホームとはミスマッチであったのが印象に残っています。貨物ホームは上野方からアプローチするカタチで当然のように高架構造で、位置的には現在のヨドバシカメラの手前の交通広場一帯が相当します。無論、当時の面影は微塵もありません。

その貨物ホームと京浜東北/山手を挟んで反対側に存在した青果市場も忘れ難き記憶です。コンクリート造りで階と階を繋ぐスロープと、打ち捨てられたような荷車、そして山積みになったカラの段ボール箱等々、これらの景を目にしていよいよ上野が目前であるのを悟ったのです。青果市場も既に過去のものとなり、その位置は現在の電気街口を出て右の広場と、UDXビルとそれに続くペストリアンデッキのある一帯が相当します。ここは青果市場撤去後一時期バスケットコート&駐車場になっていたので、そちらの記憶がある向きは居るかもしれません。

姿を変えて時代と共に進化する街並み、そして一度は喪われた列車線の再生・・・。
それらの歴史の新陳代謝の過程で、いまUTはスタートしたばかりです。

by odoriba96 | 2015-03-23 11:14 | 実車趣味(JR) | Comments(2)
Commented by ジャン at 2015-03-24 08:52 x
おはようございます。
昨夜帰宅時に新橋駅で後部車輌に向かおうにも、先細ったホームの先端まで歩けませんでした。人がいっぱい。ちょっと原因がわかりません。
来たのは15輌編成ですが、車内で未だに東京始発の名残を引き摺っているのか、満員なのに立ったままワンカップをグビリ飲り、柿の種をポリポリ齧る爺さんがいて辟易しましたです。(笑)
朝夕のスピードはアップしたように思います。
Commented by odoriba96 at 2015-03-25 22:39
>ジャンさん
こんばんは。後部車輛ということはホーム北方でしょうか。やはりUT開通により北行の乗車旅客が増大したのでしょう。東京行の頃は新橋から北行乗車の旅客なぞ皆無に等しかったですが・・・。これに比例してというか、朝ラッシュ時の東京からの南行は信じがたいほどに混雑しています。UT開業で恩恵を受ける大勢はやはり宇都宮・高崎線側と思います。東海道側の旅客が不公平感を被らないような施策が望まれますが今後次第ですね。

ワンカップの風習は・・・スカ線の東京発18時台の11号車(最後部)もそんな感じですw ただスカ線は東海道(UT)と比べて全然空いていますので、まあいつも通りのお疲れさん的な寛容?な空気もあります。スカ線はUTと比して東京以南大船迄は8分程度の差が出ますから、そこで嗜好が分れるようです。
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