赤い電車は臼い線

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2016年 10月 11日

485系上沼垂色の記録

このところの9ミリにおけるニューアイテムのリリース傾向、カトーは蒸機や旧客といった壮年向けか、ニューエイジのステンレスカーで若年層向け・・・と、二極化している印象があります。しかし、そんな中でもちゃんと「90年代」のウチらの世代のアイテムをリリースしてくれるのが、意外?にもお富さん(TOMIX)だったりします。

最近では485系上沼垂色のニューリリースがありましたが、これとリンクして思い出したのが「スーパー雷鳥」。トミックスからはもう20数年前ですか・・・実車のデビューからほどなく製品化されたのですが、当時これが欲しくてお年玉で何とかならないかとも思いましたが、足りなかったのです・・・額面的に。なので実は結構憧れていたモデルなんですよね。

でもって某氏に在庫調査を依頼したりもしたのですが、あれって初期新集電なのですよ(汗 なので基本7両、増結3両、基本の差し替え用5両セット全てにM車が含まれるとう、初期新集電機構の欠陥を2M化で強引に纏めた仕様となっています。故に単価も高く、そこにトワイライトの24系よろしく車輪や台車の交換というのはねぇ・・・。

その「スーパー雷鳥」はさておきというか、その次ぐらいに好きな485系が表題の上沼垂色です。当時は北越・雷鳥色とかグレードアップ車とか言いましたね。JR東においては「あずさ」に続く既存特急列車のグレードアップ化事例でした。それではウチが撮影した上沼垂色の記録を少々展開してみましょう。
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再掲ですが最も旧い記録がこれです。四半世紀前の1991(平3)年5月4日に魚津水族館近くの魚津~東滑川間で撮影したものです。田圃の水面に若い苗が揺れる萌芽の頃、残雪の立山連峰を横目に築堤を駆ける485系0番台ボンネット車は、それが例え国鉄色でなくとも「美しい」の一語に尽きます。写真の上がりはドイヒーですが・・・。
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1991(平3)年5月5日、倶利伽羅での撮影です。名所・倶利伽羅峠を訪れてはみたものの事前調査はゼロであり、当然のように撮影地の見当が皆目付かず諦めて駅へと戻った折に記録したのがこのカットです。ボンネット車への国鉄色以外のカラーのコーティングはそれこそ「厚化粧」ですが・・・だがそれがいいw 白山色や九州のレッドは特に好き嫌いが激しいと聞いたこともありますが、上沼垂色やひたち色を含めてどんぐりの背比べでしょう。
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大阪駅に入線する上沼垂色は、4灯前照灯も凛々しい1500番台です。しかし既に気の早いレチによって幕が回転させられており、タイミング的に何故か「快速らくらくライナー」w
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ホームに到着した後も幕の回転は続いています。デジカメが一般的な記録媒体である今日ならば無制限に等しくシャッターが切れますが、この当時は銀塩カメラ・・・フイルムなので湯水のごとく消費できません。そこで何故かシャッターを切ったのが「かもしか」w
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次いで「びわこライナー」・・・結局上の3コマがこの時にシャッターを切った全てです。お粗末様でした。観ての通り編成両端が1500番台です。
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ところ変わってこちらは長岡・・・だったと思います。やはり1500番台先頭の編成で、今度はちゃんと「雷鳥」で撮れましたw 運転室窓に辛うじて「T2」と編成番号が確認できました。
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そのT2編成のうしろ・・・ありゃりゃ、チャンピオンマークが無い!!チャンピオンマークはあの逆三角形のシンボルマークのことです。ノッペラボウとまでは言いませんが、「あるべきものが無い」のはやはり違和感を覚えます。ところでそのチャンピオンマーク、いつ落としてきた(違 のかというと・・・
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1992年7月29日、我孫子にて「ひたち101号」・・・犯人はこいつかー!
そう、T2編成のチャンピオンマーク無しのクハは、ひたち色出自だったのです。確かE653系の投入による玉突き捻出で、ボンネットクハをこれで置き換えたのです。

上沼垂色の485系先頭車は、0番台のボンネット車に始まり200番台、300番台、1500番台、そしてチャンピオンマーク無しの300番台とバラエティーに富み、運用範囲も日本海縦貫線全区間(「白鳥」に充当されていた時期あり)に及ぶものであり、印象に残っている向きもあろうかと思います。えっ、3000番台?あれはどうもねぇ・・・「はつかり」色はカッコイイんだけど、なんでかな~(何
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by odoriba96 | 2016-10-11 12:34 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(6)
Commented by petiagara at 2016-10-11 17:23
はじめまして!
いつも楽しく拝見させていただいています。

最後のひたち色は密自連が不思議な感じですね。
Commented by youroumania at 2016-10-12 01:12
おはようございます
ひたちってこんな色でしたっけ。あ、密自連はなんででしょ。
地元の割によく見てないんです。

ちなみにおいらは90年代は複雑すぎてあまりよくわからないので80年代ですわ~
Commented by odoriba96 at 2016-10-13 19:53
>petiagaraさん
はじめまして~。
密自連の件、四半世紀近く前に撮影しておきながら当事者は全く気付いていませんでした(爆
本件に関しては「心当たり」のキーワードを端緒とし、裏付けを含めた詳細が近日中に記事として纏められそうですので、よろしければまたお目通しください。
Commented by odoriba96 at 2016-10-13 20:02
>養老さま
おはようございます。
ひたちはこんな色でしたよ~。まあプリントが旧いので褪色の可能性も否定できませんが(汗
80年代といえば旧形国電や旧形客車、荷物・郵便列車が健在でしたから、現役形式の数は半端なかったですよね・・・十分複雑ですw だがしかし、90年代は既存形式を改造したアコモ車やジョイフルトレインが百花繚乱の展開を見せましたから、どっちも同じと思います。

結局は、当事者にとってのコンテンポラリーありきですよね。
ウチは80年代はどちらかというと「憧れ」の時代です。90年代は「リアルタイム」の時代・・・でしたね。手許の9ミリでもその傾向がはっきり顕れていて、80年代ないしそれ以前のモデルが多かったのですが、最近では90年代も「過去のもの」となりつつあり、コレクション過剰の予感がプンプンです(震
Commented by youroumania at 2016-10-14 00:19
こんばんわ
ひたちは651系(?)が入って頭も真っ白になってしまい先代を忘れてしまいました(笑)
どうでもいいですが上沼垂は大人になるまでまで読めませんでしたわ。

でも80年代は形式の数は多かったですが画一的でしたよね。。。
Commented by odoriba96 at 2016-10-14 22:33
>養老さま
おはようございます。
画一的・・・確かにそうかもしれません。似たようなスタイル、同じカラーリング。
スニ40とスユ44とか、マニ50とスユ15とか・・・ですねw
それこそ当時は、東京から下関まで湘南色の電車オンリーで乗り継げたはずです(所要時間は不問)。如何にも国鉄らしい縦割りというかロジカルさが確かにあったと思います。

ちなみにウチは近年まで長野県の泰阜(やすおか)が読めませんでした・・・。
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