赤い電車は臼い線

odoriba96.exblog.jp
ブログトップ
2017年 05月 15日

2001(平13)年10月14日、仙台発石巻・気仙沼線を駆けたお召し列車の記録

c0360684_1053654.jpg

「鉄道の日」である10月14日に結婚披露宴を催した鉄ヲタならウチは知っていますが(何 その「鉄道の日」にお召し列車が運転された記録は今や都市伝説に近いものではないでしょうか。例えそれが平成の御世の出来事であっても。

そんなウソのようなマコトの記録、弊糞ブログでも10年に一度と言われる大ネタを惜しげも無くぶちまけます(5年前にぶちまけたクロ157の回想記事はこちら)。そう、表題の通りの2001(平13)年10月14日(日)に、仙台から今やBRT化されてしまい二度と列車の走る事のなくなった気仙沼線の志津川までお召し列車が入線・運転されたのです。これは天皇皇后両陛下による、第56回国民体育大会(国体)ご臨席のための宮城県ご訪問及び、登米町でのバスケットボール競技会のご視察に伴うものでした。

このお召し列車運転の報を「確実なもの」としてウチが知り得たのは、何と前日(!)の10月13日(土)のこと。それまで2ちゃんで「お召し列車運転は10月14日!」なるスレがあってロムってはいたものの、正直信用していませんでした(爆 それが確か前日の新聞記事で確実である事を知ったのです。そんなわけですからお召し列車運転を見据えて10月14日を休日としてはいなかったものの、単に鉄ヲタイベントが集中するであろう日曜日であった事から、「たまたま」休みにしていたのが幸いとなり、現地への出撃と相成ったのです(当時もシフト制の職種勤務でした)。



さて、まずはそのお召し列車運転の「本番」に向けての動きを、「鉄道ファン」誌などからの抽出して纏めたメモがありますので、それを基に振り返ってみましょう。

・2001(平13)年
 8月中旬・・・DD51 745(長岡)を用いて訓練運転を開始
 (時期不詳)・・・DD51 842(高運)、DD51 888(高運)ともに土崎工場で特別整備を受ける
 10月3日他・・・DD51 888+14系ハザ7連(仙台~(試)~志津川)
 10月6日他・・・DD51 842+14系ハザ7連(仙台~(試)~志津川)
 10月10日・・・EF81 86(田)+御料新一号編成(大崎~(回)~仙台)
 10月11日・・・DD51 842+御料新一号編成(仙台~(試)~志津川)

続いて、10月14日本番当日の動きです。
 DD51 888+御料新一号編成+DD51 842(仙台電車区~(回)~仙台)
 DD51 842+御料新一号編成(仙台~(お召9001レ)~柳津~(回)~志津川)
 DD51 842+御料新一号編成(志津川~(回)~小牛田)
 ※DD51 888は別スジで小牛田で待機
 DD51 842+御料新一号編成+DD51 888(小牛田~(回)~仙台)
 DD51 888+御料新一号編成+DD51 842(仙台~(回)~仙台電車区)
 ※非常用のDE10 1760(新庄)は小牛田~(回)~石巻待機~(回)~小牛田

そして翌日の御料車回送です。
 10月15日・・・EF81 88(田)+御料新一号編成(仙台~(回)~大崎)

かつて房総の「若潮国体」お召し列車運転に際して、お召し本務機として抜擢されたのがDD51 842である事は周知のとおりですが、そのDD51 842が平成お召しとしても返り咲いたのが1997(平9)年10月4・6日の山田線/釜石線でのお召し列車運転に際して(天皇皇后両陛下による、第17回全国豊かな海づくり大会へのご臨席と秋田・岩手両県へのご行啓)でしたから、此度は平成お召しとしては2度目のDD51 842登板の機会となったわけです。

それはさておき、果たしてまさかの「鉄道の日お召し」を知ったウチを含めて連れ立っていた数名は、兎にも角にも鉄ヲタイベントに参加している場合じゃねぇとばかりに現地へ向かう事としたのです。それも新幹線ではなく、「鉄道の日記念」で3日間普通列車乗り放題¥9000の18きっぷもどきで普通(快速)列車を乗り継いで!このあたり、運賃よりもフイルム代のほうが大事だったのです(爆

現地、即ちベースとなる仙台に着いた頃にはもう日も落ちていましたが、ここからが大変でした。まず駅前市内界隈のホテルというホテルが、国体参加選手による特需なのかどこもかしこも満室!国分町近くの心当たりのカプセルホテルも例外ではなく、漸く空室にありつけたのは、確か「X橋」近くのこれも心当たりであったボロっちいシティホテルだったのです。

明けて翌10月14日日曜日、機材と躰一つで飛び出してきたようなウチらに土地勘は無く、肝心の撮影場所が未決という画に描いたような「行き当たりばったり」の朝を迎えました。兎に角まずはロケハンということで、始発列車で東北本線~小牛田~石巻線へと移動。あまり奥まで行って引き返したりすると時間と場所がなくなるので、結局涌谷から徒歩っての、上涌谷~涌谷間で撮影することに衆議一決です。
c0360684_11274647.jpg

※2001(平13)年10月14日 上涌谷~涌谷

バックに国道108号の陸橋が写り込むからか、ここは撮影者が少なかった(最終的にはギャラリーも来てそれなりでしたが)のが印象にあります。どれほど待ったかの記憶はありませんが、もう場所さえ決まってしまえばだったのでしょうねw やがて通過時刻も間近となり、姿を見せたのは露払いを兼ねた、石巻での非常時待機の任を担ったDE10 1760(新庄)でした。
c0360684_11321559.jpg

※2001(平13)年10月14日 上涌谷~涌谷

そして・・・なびく日章旗、輝く御紋章!!
晴れがましきDD51 842先頭の御料新一号編成によるお召し列車が颯爽と通過します。
c0360684_11402994.jpg

※2001(平13)年10月14日 上涌谷~涌谷

DD51 842、供奉車461、その次の供奉車330号の窓越しには、随行であろう侍従と思しき方々の顔が並んでいるのが見えます。この区画は図面ですと回転椅子を有しているようです。
c0360684_11435041.jpg

※2001(平13)年10月14日 上涌谷~涌谷

天皇皇后両陛下が御乗用される御料車、その車内見付は出入口、次室、御座所、休憩室、化粧室、厠、配電室の順で、御座所の複層ガラス窓は中央窓のみパワーウインドウとなっています。その中央窓を下され、天皇陛下がお立ちのまま手を振られています。その奥には警護と思しき姿も見え、和やかな雰囲気の中にもある種張りつめた緊張感を感じる事もできましょう。
c0360684_11521526.jpg

※2001(平13)年10月14日 小牛田

お召し列車の通過、それはまさに刹那の出来事でした。ウチは既にロクイチお召しを目にしたりもしていましたが、DD51お召しとは初の逢瀬であり、その眩い姿に「ディーゼル機関車の決定版ここにあり」の感を強くしたものです。さて、此度のお召し列車は片道運行ですが、戻りの回送列車も記録すべくとりあえず仙台方に戻ります。石巻線からの乗換駅である小牛田の構内には、お召し予備機であろうDD51 888(通称:スリッパ)が待機していますが、これまたタイヤリムが縁どられたまことに「特別」な装いを見せつけています。
c0360684_11572656.jpg

※2001(平13)年10月14日 小牛田

小牛田の構内にはDD51 888のほかに、DE10 1182+DE10 1130の重連も居ますが、これは石巻線の貨物列車絡みと思われお召し列車とは無関係でしょう。ホーム上にはDD51 888を記録しようとしたり、お召し列車の撮影を終えて集まってきた同業者で賑わっています。
c0360684_1223581.jpg

※2001(平13)年10月14日 松山町(まつやままち)

此度の出撃は何もかもが「行き当たりばったり」ですから、戻りの回送を撮る場所も当然決めていません。とりあえず小牛田から仙台方に移動しながらロケハンをしてみれば、一駅目の松山町がよさげなのでここで決定(爆 通過時刻がまだ先である事も意に介せず、秋晴れの空の下に待ち続け、遠方の築堤から駆け下りてくる御料新一号編成の姿を認めた際には、これまでの労苦?が報われる思いでした。

輝ける煙道カバーも誇らしく、大役を担い上げたお召し本務機DD51 842に続くのは、深紅の御料新一号編成と、その殿(しんがり)として連なるお召し予備機DD51 888の姿!そう、これはお召し本務機及び予備機による御料新一号編成のプッシュプルスタイルであり、DD51お召しの最高峰の編成と申しても過言ではないものです。DD51 888はさきほどの小牛田で最後部に連結されたと思われますが、これは仙台電車区への入区に際して仙台でスイッチバックする必要があるため、仙台での機関車付け替えの手間を省くのも然り、ただちに仙台電車区へと御料新一号編成を収容するためのプッシュプルスタイルであったのです。。
c0360684_12213216.jpg

※2001(平13)年10月15日 大宮

松山町での回送迎撃を最後に、往路と同じように新幹線ではなく「下道」の普通列車や快速列車の乗り継ぎでウチらは帰浜しました。そこでの記憶も記録も何一つありません(爆

明けて10月15日(月)ですが、この日も何と「たまたま」休みであり、且つ2ちゃんの例のスレに御料新一号編成の回送時刻のヒントがあったため、再出撃したのです。といっても今回は大宮まで・・・確か15時台だったかと思います。EF81 88(田)に牽かれた御料新一号編成は、落ちかけた西日に染まり何とも言えない色艶を醸したのです。
c0360684_12272153.jpg

※2001(平13)年10月15日 大宮

大宮のホームではヲタが端っこで固まっているのは当時でも決して珍しくないのですが、この時、画像右端に写り込む親子連れが「何が来るんだろう?」てな感じで一緒に待ちわびたのです。そこに姿を見せたのは御料新一号編成、想像の遥か斜め上の車両が来たのか、坊やのリュックが驚きのあまりズリ落ちていますw 敢えて言いますが、2001年当時でもこんな和やかなシーンが確かにありました。今の時代は親子連れが近寄りがたい集団になっていませんか?しかし年月の経過は早いもので、この時の坊やは今やきっと、ウチのような腐れ外道とは真逆の立派な好青年に成長している事でしょう!
c0360684_12331619.jpg

※2001(平13)年10月15日 大宮

御料新一号編成はゆるゆるとホーム前方に停止しました。止まった、止まったのです。ウチがこれまで目にしてきた御料新一号編成は全て「走行状態」でした。これはまたとない千載一遇のチャンス!渾身の意気で2両のみですが、形式写真を押さえる事が出来ました。言わずもがなの御料車、菊の御紋章は御乗用時以外は掲出されず、画像のようにフタ?が施してあります。車内の様子はカーテンが下ろされ全てシャットアウトです。
c0360684_12354962.jpg

※2001(平13)年10月15日 大宮

供奉車340号、台車は近代的なTR65ですが、クラシカルな客扉とのギャップが堪りません。
c0360684_1238982.jpg

※2001(平13)年10月15日 大宮

1分停車したかどうか、御料新一号編成は再び歩み始めて大宮を後にして行きました。西日の中に溶けてしまいそうな、典雅な深紅の車体を揺らしながら・・・。

そして、ここでは終わらなかったのです!(爆
c0360684_12411765.jpg

※2001(平13)年10月15日 原宿

お召し列車といえば原宿宮廷ホーム!それをバックに御料新一号編成を押さえようと追っかけたのです。果たして追っかけは成功しましたが、画像の通り既に日没寸前のメロメロなうえに、手前から埼京線の通勤快速?がうっわあああああああああああああああ!!!「マジで被る1秒前ええええええええええええええええええええええ」!!

こんな瞬間でもウチは「シャッターチャンスは逃さない」という渾身の意気だったのです。若さは全て、溢るるエナジー!嗚呼、叶うものならあの頃に戻りたい!それにしてもこの時印象深いのは、原宿のホームにはウチ以外にも数名の同業者は居たものの、それとは他に目つきの鋭い公安関係者も数名居た事です。思想的な列車妨害を警戒しての事でしょうが、それが例え回送列車であっても、何ともぬかりのないものであると感じたのです。
c0360684_1247825.jpg

※2001(平13)年10月15日 大井工場(敷地外)

大崎には当時、りんかい線用ホームが無かった(供用開始は翌年2002年・・・湘南新宿ラインも当初は大崎通過だった)ため、現在のようにおいそれとは撮れません。原宿から大崎へ後を追い、大井工場の御料庫が見える敷地外まで行くと・・・来ました!EF81 88は既に切り離され、何かに「押される」カタチでゆっくりと御料新一号編成が姿を見せました。
c0360684_1311329.jpg

※2001(平13)年10月15日 大井工場(敷地外)

画像では流れているので速そうですが、既に完全日没でスローシャッターになっているからそう見えるだけですw 「押していた」ヌシはDE11?で、恐らく品川常駐機と考えられます。
c0360684_132302.jpg

※2001(平13)年10月15日 大井工場(敷地外)

最後はパーンして!
当時は「りんかい線」の工事がたけなわで、画像の通り大井工場敷地内にも工事資材が溢れていました。
c0360684_1334966.jpg

※2001(平13)年10月15日 大井工場(敷地外)

ゆっくりと御料新一号編成が吸い込まれていった御料庫もパパラッチしますw
ここまで撮っていれば十分「追っかけた」と胸を張って言えるかもですね。他方、模型はというとウチには御料新一号編成のカトー製品はありません。あくまでも「実車と模型は別」なんですね。実車の印象が強ければ強いほど尚の事です。まあ今となっては欲しくもなくもないというか何というか・・・ただ、入手しずらいんですよね。特に平成仕様はプレミアもんなので頭痛の種になるでしょう。しかしそうは言うても、ウチにとっては御料新一号編成によるお召し列車を実見できた事が、何よりの矜持なのです。

2001(平13)年10月14日、それはウチが御料新一号編成のお召し列車を見た最後の日となりました。

(おわり)
/
/
[PR]

by odoriba96 | 2017-05-15 13:09 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。



<< 国鉄色を纏ったJR形気動車モデ...      TECH TRAIN >>