赤い電車は臼い線

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カテゴリ:記憶のレール(国鉄・JR)( 54 )


2017年 10月 04日

オレンジ色の103系~武蔵野線の場合

そもそもが糞ブログであるのに加え、更新頻度の著しい低下によりいよいよ糞以外の何物でもなくなった弊ブログ。これもひとえに自身の環境の変化というか心境の変化によるものであり、今後もこの傾向は続くであろう事をご容赦願いたいものです。

そんな最中に珍しくマトモというか、単なる過去の記録の羅列に過ぎないやはり糞記事なのですが、昨10月3日を以て大阪環状線からオレンジの103系が撤退、これによりオレンジの103系自体が過去帳入りした事を受け、手許の記録から武蔵野線のそれで該当するものを抽出してみました。

武蔵野線といえば私自身の通勤経路である京葉線東京~マイアミ(舞浜)間において、乗り入れ列車としてであれ日常的に乗車するハコです。近年では少数の209系500番台と大多数の205系で固められていますが、とりわけ205系のバリエーションは一口では言い表せないほどであり、メルヘン顔のオリジナル車、VVVF制御車、客扉窓の大小、運客仕切り窓の大小、荷棚形状(網目orパイプ)、シングルアームパンタ車、行先表示(字幕orLED)、更には量産車ファーストナンバーである-5が現役である等等・・・です。
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・新橋

参考までに、その-5のヤテ時代の記録を置いておきますね。編番札でギリギリ「5」と識別できるか・・・パッと見はどうあがいても単なるヤテの205ですw

そんな「205系博物館」的牙城の武蔵野線も、いよいよ山手線へのE235系投入による捻出で切り崩しは時間の問題となり、葬式厨押し掛け待った無しといったところですが、それは兎も角として、長くなった前置きを反故にして以下にその過去記録を展開したいと思います。尚、車番および撮影年月日の記録は一切ありません。
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・舞浜
6番編成・・・低運転台のクハです。関西のそれのように戸袋窓埋や張り上げ屋根化といった大掛かりな体質改善を受けたハコが首都圏には皆無でしたから、今見てもどれもオリジナルに近くて好ましい印象があります。しかし103系フリークにとっては、前述の関西のハコもその後天的施術によるバリエーションもまた神々しく?思えてしまったりもするのかも知れません。
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・葛西臨海公園
13番編成です。先の6番編成とは異なり、前面の窓支持部が黒Hゴムで纏められています。私的に黒ゴムは表情が暗くなるのでイマイチ感があります。ワイパーアームが真ん中はオレンジ、運転士側が無塗装?であるのに注意。模型でこれを再現するのも乙ではないでしょうか。
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・葛西臨海公園
17番編成です。先の13番編成と同じくの高運転台ですが、窓支持部が金属押さえで纏められており、表情がまるで違います。ワイパーアームの色違いは同様ですが、塗り屋根が端部のキャンバス押さえにまで回り込んでいて、これだけでも表情違いのエフェクトになっていると感じます。
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・舞浜
18番編成です。こちらは・・・ワイパーアームが2器ともオレンジですね。同じ18番編成で運転士側のワイパーアームが無塗装の記録もあるのですが、それが編成ごと差し替えられたのか、ワイパーを交換しただけであるかは不明です。何在れ、時期によりけりでこの差異はあったという事でしょう。
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・舞浜
19番編成です。これは割と末期の記録にして、私の手許の中で唯一「快速」(即ち平日パターン)表示の記録です。他は全て「むさしのドリーム」です。まあ京葉線の「マリンドリーム」もそうでしたが、いかに開業当初はマイアミ駅前の某園にイメージを支配されていたかという事でしょう。

画像のクハの運客仕切りに窓が3個見えます。俗にいう非ATC車で、カナリヤイエローの中央総武各駅停車でも纏まって居た記憶があります。ATC線区沿線(根岸線本郷台)で生まれ育った身でしたから、中央総武各駅停車で非ATC車に接したときは目を白黒させましたね。運客仕切りに窓が3個も!(ATC車は1個のみで、しかも機器室分オフセットされているので前面眺望はすこぶる悪い)ってw
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・舞浜
26番編成です。まあこれもありふれた高運黒ゴム編成ですが、クハ以降のモハユニットを見てください・・・大型ランボード車です。これ、0番台の新製車では7ユニットしか存在しなかったらしいです。冷改車は全て関西での施工らしいですから前者の可能性が大でしょう。その新製車も昭和57年度車らしいですから、あの「201系と並行製造の時代」のグループであるという異端なものです。
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・舞浜
35番編成の低運転台です。左下にチラりと見える自動車の屋根はマイアミ駅前某園のそれで、現在は立体駐車場化されています。
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・府中本町
同じく35番編成の上り方、クモハ103側です。ATS-P機器搭載により本来の運行灯が埋められ、前面窓助士側上部に差し替え式となって移設されたこの表情、ある意味お約束なものですが、広く知られたスカイブルーとこのオレンジの他に、カナリヤイエローで一時期だけ存在したのは地味に有名(?)なハナシ。その車番もクモハ103-103でしたからスペシャリティーですよね。
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・矢向
せっかくなので、そちらもご覧いただきましょう。運行灯を埋めたカナリヤイエローのクモハ103-103、もとは鶴見線で使われていたのが南武線19番編成として一時期だけ見られたものだそうです。
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・舞浜
最後に・・・37番編成です。前面窓支持部が金属押さえですが、塗り屋根ではなくルーフィングキャンバスで原型に限りなく近く、私的に理想なフォルムですw 

以上ですが、実車におけるオレンジの103系の引退は、同時に0番台における高運転台103系の引退でもありました。後から生まれた高運転台が先に潰え、低運転台がその掉尾を飾るであろうという運命は皮肉というよりは浮世における激動の顕れ、予言できない未来を象徴する現実とも言えましょう。

※訂正補足:日根野のスカイブルー高運6連が、明石へと転属し和田岬線の低運を置き換える様子です。これで高運の消滅は免れましたが、どちらが先かという判断はつかなくなりました(17/10/14)
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by odoriba96 | 2017-10-04 11:10 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(6)
2017年 09月 30日

Long way to Usui pass~あれから20年

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・1997(平9)年8月22日 軽井沢~横川(坂本のストレート) 「白山」3052M

あれから20年。
瑞々しく、逞しく、みなぎっていた私自身を振り返るにつけ、若さは「 全 て 」だと思うのです。しかし、それを若いうちに認識する事は殆どというか、まず無いのですがw

本日は表題の通りの大きな節目ですが、私自身の体たらくで、手許の記録を纏めて公開するには至りませんでした。しかしそれでもこの節目だけは忘れがたく、「一応のカタチ」を以てしてたらしめる次第です。

信越本線、横川軽井沢間廃線の最終日から本日で20年。
明日は、長野行新幹線(当時)開業20年を迎えます。

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by odoriba96 | 2017-09-30 21:43 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)
2017年 07月 15日

本日は7/15につき・・・

715系の日!


かもしれない・・・まあ ED71 5 の日でも EF71 5 の日でもイイんですけど(何
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※1994(平6)年12月30日 鳥栖 9:03着324M~折り返し335M

そんなわけで、手許にある715系の画像を無条件で垂れ流しますね(何
まずは小田急みたいな九州色の715系。平妻の食パン先頭車の車番はクハ715-109です。
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※1994(平6)年12月30日 鳥栖 9:03着324M~折り返し335M

こちらは同じ編成の反対側、月光型の形状を留めた先頭車のクハ715-9です。「タウンシャトル」のヘッドマークのデザインやカラーが違うのに注意。昨今の如きデジカメでしたらこの時の20倍は記録している筈ですが、限りあるネガフイルムですので、この時の記録はたったこれだけです。
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※1990年代半ば~後半 小牛田

こちらは旧ブログ再掲画像と記憶しますが、ところかわって東北の715系です。
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※1990年代半ば~後半 小牛田

同じく平妻の食パン先頭車・・・編番札が「N1」と見えます。
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それより何より珍しいのは、このオレンジカード(死語)でしょう。
これを撮影したファンは確か「鉄道ファン」誌に投稿していて、その画像が仙台支社の目に留まってオレカ図案に採用されたはずです。

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by odoriba96 | 2017-07-15 22:33 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(4)
2017年 06月 05日

甦るINVERTER HI-TECH LOCO EF200-901!!

限られた時間の中で纏めたい記事は多々あります。
ユーフォ2期総集編の劇場版と、レズ2人の物語劇場版、事実上の3期ストーリー劇場版等々。そして「やまぐち号」のサイボーグ旧客35系4000番台の出場のインパクト等々・・・ですが、先ずはこれ。

EF200 901登場時の姿で日立水戸に保存でしょう!!
故障休車からの自然発生的な廃車により退役したEF200の試作機である901号機、それが生まれ故郷である日立水戸に昨年秋に帰還したというニュースは、情報過多の昨今にあっては周知のものです。

以後、その動静は不明でしたが、日立水戸は毎年6月の第一土曜日に「さつきまつり」なる催事を展開しているものの、その広域的な事前告知は殆ど無くタブーイベントの感すらありますが、それはそれとして、ウチはEF200-901の展示は確かだろうと予測しつつ、今更ながら直前に確認したら案の定当日は超出勤だったのです(爆 しかし、その予測を超えたサプライズは「INVERTER HI-TECH LOCO」のロゴも眩しい登場時仕様への回帰!!これには心底「脱帽」の想いがします。
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※1990(平2)年8月26日 新鶴見機関区「夏祭り会場」

それにしても・・・滾る想いです。
ウチはこの画像の通り、厨房の頃に訪れた初めての車両基地公開イベントでEF200-901とEF500-901のセッションを目にし、確かなる90年代の幕開けを実感した身なのですから。結果、EF200は「悲運の8000馬力」の通り、本来のポテンシャルを遺憾なく発揮する事は叶わず、EF500もそれ自体は量産化されずEF510へとバトンを繋ぐ事となるなど、捉えようによってはそれは「残念なもの」となりました。

しかし、それは「時代」なんです。
そのステップがあったからこそ、EF210が、EH500が、EH200が生まれたのですから。
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その新鶴見機関区「夏祭り」において、来場者にEF200、EF500、EF66 100の公式パンフが配布されました。いまとなっては「お宝」ですね。以下に、そのEF200版のスキャン画像をぶちまけます(何 このスキャン画像はずっとハードに残してあったのですが、ここにきてまさに絶好の後悔× 公開〇 タイミングとなったのですw
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※1990(平2)年8月26日 新鶴見機関区「夏祭り会場」

もう、このような電気機関車が生まれる事は無いのでしょう。
それにしても日立水戸の「さつきまつり」・・・来年は逝きたいです。同地にはピカピカのED78 1も保存展示されているとの事ですから。EF200-901の登場時の姿を約28年ぶりに目に出来たならば、ウチは間違いなく大粒の涙を流す事でしょう。

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by odoriba96 | 2017-06-05 21:11 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)
2017年 05月 30日

EF65 2139

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※2014(平26)年8月19日 戸塚

実車はいまや国鉄色へとリバイバルし注目を集めていますが、この頃はありきたりのJRF色であったという。ある日を境に、なんでもないトーシロが思わぬスターダムにのし上がるというケースは、人間界でも鉄道界でも想定しうるものでしょう。

しかし、共通して言えるのは 「もう、あの頃には戻れない」 という事なんでしょうね・・・。

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by odoriba96 | 2017-05-30 20:52 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(2)
2017年 05月 15日

2001(平13)年10月14日、仙台発石巻・気仙沼線を駆けたお召し列車の記録

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「鉄道の日」である10月14日に結婚披露宴を催した鉄ヲタならウチは知っていますが(何 その「鉄道の日」にお召し列車が運転された記録は今や都市伝説に近いものではないでしょうか。例えそれが平成の御世の出来事であっても。

そんなウソのようなマコトの記録、弊糞ブログでも10年に一度と言われる大ネタを惜しげも無くぶちまけます(5年前にぶちまけたクロ157の回想記事はこちら)。そう、表題の通りの2001(平13)年10月14日(日)に、仙台から今やBRT化されてしまい二度と列車の走る事のなくなった気仙沼線の志津川までお召し列車が入線・運転されたのです。これは天皇皇后両陛下による、第56回国民体育大会(国体)ご臨席のための宮城県ご訪問及び、登米町でのバスケットボール競技会のご視察に伴うものでした。

このお召し列車運転の報を「確実なもの」としてウチが知り得たのは、何と前日(!)の10月13日(土)のこと。それまで2ちゃんで「お召し列車運転は10月14日!」なるスレがあってロムってはいたものの、正直信用していませんでした(爆 それが確か前日の新聞記事で確実である事を知ったのです。そんなわけですからお召し列車運転を見据えて10月14日を休日としてはいなかったものの、単に鉄ヲタイベントが集中するであろう日曜日であった事から、「たまたま」休みにしていたのが幸いとなり、現地への出撃と相成ったのです(当時もシフト制の職種勤務でした)。

さあ、時空を超えよう。2001(平13)年10月14日の感動よ再び・・・続きを読む
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by odoriba96 | 2017-05-15 13:09 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)
2017年 05月 14日

TECH TRAIN

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※1990(平2)年10月21日 西日暮里 ・・・光線の都合から後打ち

「国際鉄道安全会議」記念で運転された「TECH TRAIN」(テックトレイン)。
池袋10:36→内回り→池袋11:37のスジ(ノンストップ?)で運転されました。当時の印象としては、まあ何と撮影者の少ない事!!既に四半世紀以上前・・・「時代」が何もかも違います。対象が平成の御世とは言えど、それを痛感せずにはいられません・・・。

それにしても当時不思議だったのは、山手線の103は2年前に引退しているのに、この編成をどこから捻出したのか?という事。今となっては埼京線編成を充てたのではと思うのですが、果たして「事実」は?(編番札が無いのにも注意)
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by odoriba96 | 2017-05-14 20:27 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)
2017年 05月 13日

富がいろいろ出すようですが・・・

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※会津若松にて 恐らく2000(平12)年10月 この時のウチは2×歳・・・若さは全てに勝る!・・・今は昔

ウチ的にはオリサルを熱烈所望します。
碓氷も越えてるしね・・・。

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by odoriba96 | 2017-05-13 21:57 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)
2017年 05月 12日

かくて、我らが日々

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※1992(平4)年8月5日 苗穂~白石 特急「スーパーホワイトアロー1号」3001M・・・四半世紀前です

追いかけるべきものも、拘るべきものも無くなった今だから・・・90年代の記憶と記録に縋って自我を保つのでしょう。

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by odoriba96 | 2017-05-12 22:07 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(2)
2017年 05月 07日

夢を初めて願って今日までどのくらい経っただろう

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・山寺にて

急行形電車への焼けつくような想い、それは地元メガロポリスから対象が消えても不変でした。紙媒体の商業誌を通じて既視感のあった山寺の景、それを肉眼で捉えた時のテンションはいかばかりか。残雪のレフ板に浮かび上がった急行形電車は地域色を纏っていましたが、何よりサッシ窓の連なるビジュアルに接せられた事がこの上ないものだったのです。

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・松本にて

「シティ・オブ・ナガノ」の一声で、信州の鉄道は大なり小なり衣替えを余儀なくされました。長野電鉄の赤ガエルを営団3000へと代替、上田交通のカエルと湯タンポを東急7200へと代替、そしてJRの各車両のカラーチェンジ・・・。その頃の松本駅構内、消えゆくイタリアン「あずさ」とニューカラーの「あずさ」、そして消えゆく信州色の115系冷房準備車・・・そのカラフルさは「大絵巻的様相」そのものでした。


2017年5月7日、それは道半ばなのかも知れません。
しかし、ウチにとっての「夢」であり「拠り所」であった90年代は、既に過去のものなのです。

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by odoriba96 | 2017-05-07 20:50 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)