赤い電車は臼い線

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カテゴリ:記憶のレール(国鉄・JR)( 49 )


2017年 05月 15日

2001(平13)年10月14日、仙台発石巻・気仙沼線を駆けたお召し列車の記録

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「鉄道の日」である10月14日に結婚披露宴を催した鉄ヲタならウチは知っていますが(何 その「鉄道の日」にお召し列車が運転された記録は今や都市伝説に近いものではないでしょうか。例えそれが平成の御世の出来事であっても。

そんなウソのようなマコトの記録、弊糞ブログでも10年に一度と言われる大ネタを惜しげも無くぶちまけます(5年前にぶちまけたクロ157の回想記事はこちら)。そう、表題の通りの2001(平13)年10月14日(日)に、仙台から今やBRT化されてしまい二度と列車の走る事のなくなった気仙沼線の志津川までお召し列車が入線・運転されたのです。これは天皇皇后両陛下による、第56回国民体育大会(国体)ご臨席のための宮城県ご訪問及び、登米町でのバスケットボール競技会のご視察に伴うものでした。

このお召し列車運転の報を「確実なもの」としてウチが知り得たのは、何と前日(!)の10月13日(土)のこと。それまで2ちゃんで「お召し列車運転は10月14日!」なるスレがあってロムってはいたものの、正直信用していませんでした(爆 それが確か前日の新聞記事で確実である事を知ったのです。そんなわけですからお召し列車運転を見据えて10月14日を休日としてはいなかったものの、単に鉄ヲタイベントが集中するであろう日曜日であった事から、「たまたま」休みにしていたのが幸いとなり、現地への出撃と相成ったのです(当時もシフト制の職種勤務でした)。

さあ、時空を超えよう。2001(平13)年10月14日の感動よ再び・・・続きを読む
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by odoriba96 | 2017-05-15 13:09 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)
2017年 05月 14日

TECH TRAIN

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※1990(平2)年10月21日 西日暮里 ・・・光線の都合から後打ち

「国際鉄道安全会議」記念で運転された「TECH TRAIN」(テックトレイン)。
池袋10:36→内回り→池袋11:37のスジ(ノンストップ?)で運転されました。当時の印象としては、まあ何と撮影者の少ない事!!既に四半世紀以上前・・・「時代」が何もかも違います。対象が平成の御世とは言えど、それを痛感せずにはいられません・・・。

それにしても当時不思議だったのは、山手線の103は2年前に引退しているのに、この編成をどこから捻出したのか?という事。今となっては埼京線編成を充てたのではと思うのですが、果たして「事実」は?(編番札が無いのにも注意)
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by odoriba96 | 2017-05-14 20:27 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)
2017年 05月 13日

富がいろいろ出すようですが・・・

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※会津若松にて 恐らく2000(平12)年10月 この時のウチは2×歳・・・若さは全てに勝る!・・・今は昔

ウチ的にはオリサルを熱烈所望します。
碓氷も越えてるしね・・・。

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by odoriba96 | 2017-05-13 21:57 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)
2017年 05月 12日

かくて、我らが日々

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※1992(平4)年8月5日 苗穂~白石 特急「スーパーホワイトアロー1号」3001M・・・四半世紀前です

追いかけるべきものも、拘るべきものも無くなった今だから・・・90年代の記憶と記録に縋って自我を保つのでしょう。

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by odoriba96 | 2017-05-12 22:07 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(2)
2017年 05月 07日

夢を初めて願って今日までどのくらい経っただろう

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・山寺にて

急行形電車への焼けつくような想い、それは地元メガロポリスから対象が消えても不変でした。紙媒体の商業誌を通じて既視感のあった山寺の景、それを肉眼で捉えた時のテンションはいかばかりか。残雪のレフ板に浮かび上がった急行形電車は地域色を纏っていましたが、何よりサッシ窓の連なるビジュアルに接せられた事がこの上ないものだったのです。

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・松本にて

「シティ・オブ・ナガノ」の一声で、信州の鉄道は大なり小なり衣替えを余儀なくされました。長野電鉄の赤ガエルを営団3000へと代替、上田交通のカエルと湯タンポを東急7200へと代替、そしてJRの各車両のカラーチェンジ・・・。その頃の松本駅構内、消えゆくイタリアン「あずさ」とニューカラーの「あずさ」、そして消えゆく信州色の115系冷房準備車・・・そのカラフルさは「大絵巻的様相」そのものでした。


2017年5月7日、それは道半ばなのかも知れません。
しかし、ウチにとっての「夢」であり「拠り所」であった90年代は、既に過去のものなのです。

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by odoriba96 | 2017-05-07 20:50 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)
2017年 04月 06日

続・海馬に重大な障害~オリエンタルランド交通塗色、復活す!!

本日退勤後、マイアミ駅(通称:舞浜駅)に向かってヘロヘロと歩いていましたら、トンでもないバスが物凄いスピードで迫って消え去って行きました!!そう!!

「オリエンタルランド交通」のリバイバル塗色です!!



しかし同時に、重大な事象にも気づかされたのです。(オリエンタルランド交通→)東京ベイシティバス40周年アニバーサリーステッカーの記事にもあるように「車体の塗色はウチの記憶の限りでは変わっていません」などと宣っていますが、実は変わっています(爆 というか、このリバイバル塗色を目にして全て思い出しました。もう、現物見た刹那はあと一歩で叫んでいましたよ?

して、その塗装を纏った車両はにわかバスヲタのウチでも判別できるような「新車」でしたので、恐らく公式で発表されているのだろうと閲覧してみればありましたですよ(爆 運行40周年記念「復刻カラーバス」のアナウンスです。これの運行開始が昨年度の3月27日といいますから、それ以来ウチは未見だったわけで・・・。自宅よりもマイアミに居る時間のほうが長いという評判?のウチですらそんなんですから、リバイバル塗色を纏った3台との遭遇は難易度が高いのでしょうか?

しかし・・・胸熱です。
この地味なマイアミ界隈によもや「オリエンタルランド交通」当時の塗色が甦ろうとは・・・!!無論、車体側面の屋号はさすがに「オリエンタルランド交通」とはいかず「東京ベイシティバス」で復刻されていますが、このメルヘンチック?な書体は「オリエンタルランド交通」当時からのものなのですよね・・・海馬が正常であれば(爆 兎に角、この久々に激アツなネタの降臨に明日以降のマイアミ通いが楽しみで楽しみで仕方ありません!!(嘘にもほどがある嘘
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さて、その当時のバス記録もなければ、本日退勤時の瞬時の遭遇の画像もありませんw それでは何ですので、庫出し糞画像で逝ってみましょう!!画像はマイアミ駅(当時は舞浜駅)ですが、撮影時期はなんと1988(昭63)年12月の京葉線新木場開業直後と思われます!!ホームのコールタールも綺麗ですが、ブレブレの103系高運ATC車の「蘇我⇔新木場」の相互式表示が激マブです!!

それより何より国電ヲタ的に見るべきは、乗務員室直後の側面のJRマークの位置でしょう。見ての通り乗務員室直後の側面戸袋窓は閉鎖されているATCタイプ、にも関わらずJRマークは低運転台車よろしく戸袋窓を有す車両と同じような腰板に貼られています。一体なぜ?一つにはマニュアルのようなものがあり、それに則ったか、もしくは「現協=現場協議」ありきの国鉄現場の風習が強く残っていて、「現場で決めて」そうなったのではとウチは考えます(余談ですがマニ50の極一部に居た非公式形式の「マエ50」の存在はまさに現協の最たる象徴とウチは捉えています)。

そしてもう一つ、マイアミ界隈で毎日のように社畜生活を満喫しているウチにとって見逃せないのは、このマイアミ駅(当時は舞浜駅)の外壁の形状が全然違う事!!この頃は正方形の窓が無機質に並ぶ凡庸なものだったのですね。今は波型のシャレたものになっています。そして画像右端の窓越しに見えるTDLの山、そしてその手前に展開するこざっぱりとしたマイアミ駅前(当時は舞浜駅前)界隈・・・TDLの山はいまも変わりませんが、それ以外は一変しましたね。
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して、ドサクサの庫出し糞画捜索でトンでもないのが出てきました!!

大阪城公園駅の春日大社色113系!!


前面のブーメラン型ヘッドマークに卒倒待った無しですが、これも撮影時期は1988(昭63)年の年末と思われます。無論民営化後ですが、手前の内回りホームに吊られた「縦型記載の時刻表」や「次の電車は 森の宮に着きました」なる行燈表示といい(「森ノ宮」でなく「森の宮」なのがイイです)、国鉄テイスト満載です。それでいて肝心の113系春日大社色(要は関西線快速色)の前面を見れば、Hゴムが黒色になっていたりと民営化後の流れ?を匂わせるテイストもあります。

しかしこういうのを見ると・・・富の関西線色113系も欲しくなりますね。てか、関西(大阪圏)の車両もハマるとヤバいです。ウチは富の323系が欲しかったのですが、芋の在庫が瞬間蒸発したので救われました(爆 てか、323系は実車に乗りたいですね。「去りゆく者には労(ねぎら)いを、来(きた)るものには祝福を」が、ウチの実車趣味でのスタンスです。103系は昨2016年に堪能しましたから、今度は世代交代の進む大阪圏の今を・・・ということで、「関西国電事情2017」の催行も現実味を帯びてきました!!

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by odoriba96 | 2017-04-06 21:22 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(2)
2017年 04月 01日

あれから30年

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国鉄解体・JRグループ発足から30年が経ちました。

国鉄終焉の頃というか最終日?に、確か「謝恩フリーきっぷ」なる国鉄全線特急も乗り放題的なものが発売され、それを携行していたファンに103系車内でおふくろが声を掛けていたのを朧気に覚えています。あれから30年、実車の世界は大きく変わりましたが、国鉄時代の落成車がいまだにある程度現役というのも、考えようによっては不思議というか物持ちが良いように感じます。旧性能車とはいえ全金属車体のクハ79920ですら20年で解体されていますからね。

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by odoriba96 | 2017-04-01 22:29 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)
2017年 01月 30日

Episodeゼロ~キハ110系量産先行車の記録

キハ110系のキハ110形0番台、うち-1~3は量産先行車として生まれました。
急行用としてのアコモデーションを有し、且つ前面をブラックフェイスで纏いスカートの外装をパイプ状とする等、その前衛的なビジュアルはインパクトがありました。今回は何の脈絡も無く?そのキハ110-1~3のブラックフェイス時代の記録を、拙い僅か5葉ばかりのものですが「全部出し」で展開します。
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画像は全て1990(平2)年8月2日撮影です。あれから27年・・・。
まずは東北新幹線からの乗換駅である新花巻でのヒトコマ。姿を見せたのはニューフェイスの名も相応しい、この年の春に就役したばかりのキハ110形0番台による急行「陸中3号」です!!このキハ110系0番台、当時のメモによれば3両編成中の両端がブラウン系リクライニングシートで、中間がバイオレット系リクライニングシートとあります。編成は先頭からキハ110-3・-2・-1でしたから、量産先行車中における奇数車番がブラウン系シート、偶数車番がバイオレット系シートという事になります。
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釜石に到着した急行「陸中3号」です。
新花巻で撮影した-3ではなく、こちらは後部の-1です。して、連結器カバーに大注目!!-3は小振りで銀色のものですが、こちら-1は大振りでグレーのもの。テストケースとして仕様を違えたのでしょうか?興味深いです。
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スイング式のプラグドアも当時は斬新で何とも未来的でした。251系「スーパービュー踊り子」然り・・・。しかし結局大成はしなかったですね。キハ110系でも200番台からフツーの引き戸にマイナーチェンジしています。
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同じく釜石です。
手前からキハ110-3、キハ110-2、キハ110-1です。模型のネタですが、このブラックフェイスにパイプスカートの仕様・・・出して欲しいです。今は昔と違って糞みたいなニッチモデルでも無駄に売れる時代です。
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そして〆のコマ。
「鉄の街」を印象付けるような背景との取り合わせも、今からすれば夢のようです。
そして外野だからこその言いたい放題・・・そろそろピク誌あたりでキハ110系(100系)特集が組まれても良い頃合いかと思います。実車のデビューから既に四半世紀越えの27年、「秋田リレー」へのワンポイントリリーフながらの特急運用への充当、急行運用の廃止、水郡線からの撤退、飯山線眺望車、そして「おいこっと」等々・・・。時代時代で姿を変え、路線間の転配も繰り返されてきたキハ110系(キハ100系)の歴史は、既にそれなりの「重み」が醸成されていると思うのです。

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by odoriba96 | 2017-01-30 21:36 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)
2017年 01月 17日

「スケ色」と「スカ色」(何かの予告編?)

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2011(平23)年1月25日、7時半過ぎの品川駅7番線・・・無論、現在のような改良工事前です。

どんなカタチであれ、スカ線のE217系が朝の品川駅7番に入線という事自体イレギュラーですが、それはそれとして、画像左の「新色」帯を巻いた機器更新編成のY-107(附属編成)と、画像右の「旧色」帯を巻いた未更新編成Y-04(基本編成)とのカップリングを認識ください。E217系の機器更新は約4年を要していますが、その過渡期には画像のようなシーンがまま見られました。

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by odoriba96 | 2017-01-17 23:00 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)
2016年 10月 15日

勝田区の485系、うたかたの「密自連」装備車とは

過日の上沼垂色に関する糞記事から米欄を通じて思わぬ展開?を見せた、1992(平4)年7月にウチが撮影した勝田区485系300番台が密自連装備車であったという件。これについて先ず思い浮かんだのは「14両運転が関係しているのか?」という事。しかしそれは手許の資料をひっくり返した結果無関係であったのですが、ここではもののついでというか、引用記事の流れ的に14両運転についても触れたいと思います。

その14両運転とは7両編成の485系を2本併結とした特急「ひたち」の事で、これはweb上でも1993(平5)年12月改正からとの記述が見られます。定期運用としてはそうなりますが、実はそれ以前からテストケース的なイレギュラーで14両運転は行われていたのです。
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1冊目の参考文献は「鉄道ファン」誌1993年4月号(通巻384)で、読者投稿のPOST欄からです。
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(以下引用)

去る(※1993年)1月3、4日の2日間、勝田区の485系が、7連+7連の堂々たる14両編成で運転された。“ひたち”122号がそれで、通常は勝田ー上野間運転、7連使用の1072Mだが、この両日は、122号の運転区間延長という形ながら、平ー勝田間臨時9072Mとして“あいづ”用連を運転、勝田からは通常の7連を併結し、勝田ー上野間1072M、14両編成となったもの。これは、利用者から混雑による苦情が出ているため、試験的に行なわれたもようで、結果によっては、現在651系使用の一部列車が、485系14両編成となりそうである。

(引用ここまで)

485系「ひたち」14両運転の嚆矢は、日付からして恐らく年始のUターン帰省客向けと思われる夕刻の上り「ひたち」でした。この1072Mと上野着後折り返しの1071Mは14両運転定期化後はその該当となり、金曜日と日曜日(除く祝日)限定ながら14両で運転されていました。
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2冊目の参考文献は「鉄道ファン」誌1993年12月号(通巻392)で、読者投稿のPOST欄からです。
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(以下引用)

常磐線の“ひたち”号は、今年の正月以来、上り列車のピーク時に14両運転を行っているが、今回、8月15日の“ひたち”114号が新塗色K6編成+旧塗色K3の14両編成で運転された。また、おそらくこの併結運転に備えてのことと思うが、ボンネット形クハ481の-31、-34、-38の3両の連結器が、向日町所のクハ481のように密連に改造されている(余談だが、-34は、常総学院応援列車として大阪へ顔を出している)。
また、大洗鹿島線乗入れ計画(編集部注:残念ながら実現せず)により、自連に改造されていたクハ481-315、-1101も密連に戻されている。

(引用ここまで)

この2冊目の記事には多くの重要な情報が見出せます。まず14両運転が「今年の正月」とあるように、1冊目の記事にある1993年1月を嚆矢として、「以来、上り列車のピーク時に」という事から断続的に14両運転が行われていた事を匂わせます。それにしても上り列車のみというのが意外というか、「ひたち」は上り列車の混雑傾向が強いキャラなのでしょうか?

そしてもう一つ、「大洗鹿島線乗入れ計画」という突拍子も無いキーワードが出てきましたが、その乗入れ計画で自連に改造されたクハ481-315、-1101の2両が密連に戻されたという記述からも、「ひたち」の14両運転は密連を介して行われた事が明白で、表題の密自連は14両運転と何の関係も無かった事が裏付けられます。それでは、その気になる「大洗鹿島線乗入れ計画」を振り返ってみましょう。
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3冊目の参考文献は「鉄道ファン」誌1991年8月号(通巻364)で、読者投稿のPOST欄からです。
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(以下引用)

去る(※1991年)5月8日、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線(水戸ー北鹿島間)に勝田区の485系7連が、宇都宮運転所のDE10 1604に引かれて入線、水戸ー大洗間を1往復した。これは、7月21日から上野ー大洗間で運転されるJR直通臨時特急“大洗シーサイド号”(仮称)の乗務員訓練であった。同鉄道線に電車が入線したのは、開業以来初めてのことであった。なお、営業運転では、485系のサービス電源供給のため、電源車が組み込まれる予定である。
●編集部から:市販時刻表6月号にも本文掲載ならびに訂正が出ていますように、確かに特急“ビーチイン大洗ひたち”として、485系の鹿島臨海鉄道大洗までの直通運転が予定されていました。しかしながらJR東日本としては、昨今の出来事をふまえて自粛、直通乗り入れは中止とし、上野ー水戸間での運転としています。ファンとしてはとても残念なことですね。“(水前寺)有明”用のようなヨ改造(?)の電源車も用意されていたことと思われるのですが・・・。

(引用ここまで)

時間的な時系列が前後しますが、これが2冊目で触れた485系の大洗鹿島線乗り入れ計画です。これについては「485系 大洗鹿島 乗り入れ」というキーワードでググれば数件ヒットするので、実は言うほど知られざる事象ではないです。そして記事中に「昨今の出来事をふまえて」とありますが、これは言わずもがな信楽高原鐵道における列車正面衝突事故です。本当に恐ろしい事故です。ウチは当時厨房でした。485系の大洗鹿島線への訓練による初入線のまさに直後に、事故が発生してしまったのです。

3冊目の記事では485系の車番等の記述がありませんが、ここで2冊目に立ち返りますと「クハ481-315、-1101が大洗鹿島線乗入れ計画に際し自連へと改造された」旨の記述が確認できます。但しその記事中では「自連」とありますが、これは結果的に「密自連」が正です(後述します)。自連も密自連も形状としては似ていますし、お互いアダプターを介さずに連結できる互換性はありますが、連結器の種類としては別物ですから、ウチ自身の平時の記述も含めてそういった部分は十分気を付けたいと思います。一度独り歩きし伝播してしまった誤情報を正すのは容易なことではありません。
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4冊目の参考文献です。「鉄道ダイヤ情報」誌1997年9月号(通巻161)です。
さて、その自連を装備したクハの車番までは判明しましたが、ウチが撮影した記録がその車番であるかどうかの裏付けがまだとれていません。そこで編成番号を確認したいと思います。この4冊目の特集「485・489系ワンダーランド」は、2刊に亘って当時時点における485・489系配置区所の全ての運用や概況、そして編成車番を紹介するというもので、90年代の485・489系を模型で再現するにあたっては一つの目安となる、激烈に有用なものなのです。ウチは当然この「東日本編」と併せて「西日本編」も保有しております(これでも一応「資料厨」ですのでw)。

この特集は目前となった1997年10月改正、そう・・・信越本線横川~軽井沢間廃止を含む大改正でしたが、本改正で「ひたち」の485系は半数がE653系に置換され、ボンネット車は事実上引退(のちにK7編成が国鉄色となりイベントに活躍しますが)するという、まさに勝田区の485系が最後の光彩を放っていた時期を収めているのです。ではその勝田区の編成表を見てみましょう。
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赤枠の車番は、自連に改造されたというクハ481-315、-1101です。当然のように同じ編成に組み込まれています。編成番号はK1ですね。この資料は1997年当時ですが、ウチが1992年7月に撮影した編成は一体?
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これではもちろん判然としませんので、拡大してみましょう。
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!!!!!辛うじて「K1」と見えるかっ!?
というかもう間違いないでしょう。そもそもが1点モノの勝田区485系自連装備車において、車番が幾つもあるわけがないのです。そしてウチが1992年7月29日に「ひたち101号」で撮影したこの画像の通り、連結器は「自連」ではなく「密自連」です。密自連は自連とアダプターを介さず連結できますから、DE10との連結も問題ありません。以下、結論を纏めますと・・・

・ウチが撮影した例の新塗色「ひたち」は、K1編成(いわき方クハ481-315、上野方クハ481-1101)
・同編成は1991年夏の大洗鹿島線乗り入れ計画に際し密自連へと換装されるが、計画は中止
・密自連はそのままに新塗色化され(1992年時点)、1993年?に密連へと復原された

となります。
ここまでの無駄に長ったらしい記事を全部スッ飛ばして、上の3行だけ読めばスッキリですw 

485系の大洗鹿島線乗り入れ計画自体はさすがにウチも知っていました。しかし、まさかその当事者であるウチが撮影した画像が、その該当編成であった事は今日2016年10月まで未知だったのです。実に約四半世紀の時を超えて知らされた事実、ウチが情弱なだけなのかもしれませんが、こういった事があるから鉄道実車趣味は面白い!「一枚のキップから」ではないですが「一枚の画像から」の如く、米欄での指摘が無ければここまでの展開はありませんでした。単なる揚げ足取りではなく素直に疑問と感じた事象の突っ込み、大歓迎です。ありがとうございました。
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by odoriba96 | 2016-10-15 10:06 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)