カテゴリ:記憶のレール(国鉄・JR)( 44 )


2017年 04月 06日

続・海馬に重大な障害~オリエンタルランド交通塗色、復活す!!

本日退勤後、マイアミ駅(通称:舞浜駅)に向かってヘロヘロと歩いていましたら、トンでもないバスが物凄いスピードで迫って消え去って行きました!!そう!!

「オリエンタルランド交通」のリバイバル塗色です!!



しかし同時に、重大な事象にも気づかされたのです。(オリエンタルランド交通→)東京ベイシティバス40周年アニバーサリーステッカーの記事にもあるように「車体の塗色はウチの記憶の限りでは変わっていません」などと宣っていますが、実は変わっています(爆 というか、このリバイバル塗色を目にして全て思い出しました。もう、現物見た刹那はあと一歩で叫んでいましたよ?

して、その塗装を纏った車両はにわかバスヲタのウチでも判別できるような「新車」でしたので、恐らく公式で発表されているのだろうと閲覧してみればありましたですよ(爆 運行40周年記念「復刻カラーバス」のアナウンスです。これの運行開始が昨年度の3月27日といいますから、それ以来ウチは未見だったわけで・・・。自宅よりもマイアミに居る時間のほうが長いという評判?のウチですらそんなんですから、リバイバル塗色を纏った3台との遭遇は難易度が高いのでしょうか?

しかし・・・胸熱です。
この地味なマイアミ界隈によもや「オリエンタルランド交通」当時の塗色が甦ろうとは・・・!!無論、車体側面の屋号はさすがに「オリエンタルランド交通」とはいかず「東京ベイシティバス」で復刻されていますが、このメルヘンチック?な書体は「オリエンタルランド交通」当時からのものなのですよね・・・海馬が正常であれば(爆 兎に角、この久々に激アツなネタの降臨に明日以降のマイアミ通いが楽しみで楽しみで仕方ありません!!(嘘にもほどがある嘘
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さて、その当時のバス記録もなければ、本日退勤時の瞬時の遭遇の画像もありませんw それでは何ですので、庫出し糞画像で逝ってみましょう!!画像はマイアミ駅(当時は舞浜駅)ですが、撮影時期はなんと1988(昭63)年12月の京葉線新木場開業直後と思われます!!ホームのコールタールも綺麗ですが、ブレブレの103系高運ATC車の「蘇我⇔新木場」の相互式表示が激マブです!!

それより何より国電ヲタ的に見るべきは、乗務員室直後の側面のJRマークの位置でしょう。見ての通り乗務員室直後の側面戸袋窓は閉鎖されているATCタイプ、にも関わらずJRマークは低運転台車よろしく戸袋窓を有す車両と同じような腰板に貼られています。一体なぜ?一つにはマニュアルのようなものがあり、それに則ったか、もしくは「現協=現場協議」ありきの国鉄現場の風習が強く残っていて、「現場で決めて」そうなったのではとウチは考えます(余談ですがマニ50の極一部に居た非公式形式の「マエ50」の存在はまさに現協の最たる象徴とウチは捉えています)。

そしてもう一つ、マイアミ界隈で毎日のように社畜生活を満喫しているウチにとって見逃せないのは、このマイアミ駅(当時は舞浜駅)の外壁の形状が全然違う事!!この頃は正方形の窓が無機質に並ぶ凡庸なものだったのですね。今は波型のシャレたものになっています。そして画像右端の窓越しに見えるTDLの山、そしてその手前に展開するこざっぱりとしたマイアミ駅前(当時は舞浜駅前)界隈・・・TDLの山はいまも変わりませんが、それ以外は一変しましたね。
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して、ドサクサの庫出し糞画捜索でトンでもないのが出てきました!!

大阪城公園駅の春日大社色113系!!


前面のブーメラン型ヘッドマークに卒倒待った無しですが、これも撮影時期は1988(昭63)年の年末と思われます。無論民営化後ですが、手前の内回りホームに吊られた「縦型記載の時刻表」や「次の電車は 森の宮に着きました」なる行燈表示といい(「森ノ宮」でなく「森の宮」なのがイイです)、国鉄テイスト満載です。それでいて肝心の113系春日大社色(要は関西線快速色)の前面を見れば、Hゴムが黒色になっていたりと民営化後の流れ?を匂わせるテイストもあります。

しかしこういうのを見ると・・・富の関西線色113系も欲しくなりますね。てか、関西(大阪圏)の車両もハマるとヤバいです。ウチは富の323系が欲しかったのですが、芋の在庫が瞬間蒸発したので救われました(爆 てか、323系は実車に乗りたいですね。「去りゆく者には労(ねぎら)いを、来(きた)るものには祝福を」が、ウチの実車趣味でのスタンスです。103系は昨2016年に堪能しましたから、今度は世代交代の進む大阪圏の今を・・・ということで、「関西国電事情2017」の催行も現実味を帯びてきました!!

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by odoriba96 | 2017-04-06 21:22 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(2)
2017年 04月 01日

あれから30年

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国鉄解体・JRグループ発足から30年が経ちました。

国鉄終焉の頃というか最終日?に、確か「謝恩フリーきっぷ」なる国鉄全線特急も乗り放題的なものが発売され、それを携行していたファンに103系車内でおふくろが声を掛けていたのを朧気に覚えています。あれから30年、実車の世界は大きく変わりましたが、国鉄時代の落成車がいまだにある程度現役というのも、考えようによっては不思議というか物持ちが良いように感じます。旧性能車とはいえ全金属車体のクハ79920ですら20年で解体されていますからね。

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by odoriba96 | 2017-04-01 22:29 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)
2017年 01月 30日

Episodeゼロ~キハ110系量産先行車の記録

キハ110系のキハ110形0番台、うち-1~3は量産先行車として生まれました。
急行用としてのアコモデーションを有し、且つ前面をブラックフェイスで纏いスカートの外装をパイプ状とする等、その前衛的なビジュアルはインパクトがありました。今回は何の脈絡も無く?そのキハ110-1~3のブラックフェイス時代の記録を、拙い僅か5葉ばかりのものですが「全部出し」で展開します。
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画像は全て1990(平2)年8月2日撮影です。あれから27年・・・。
まずは東北新幹線からの乗換駅である新花巻でのヒトコマ。姿を見せたのはニューフェイスの名も相応しい、この年の春に就役したばかりのキハ110形0番台による急行「陸中3号」です!!このキハ110系0番台、当時のメモによれば3両編成中の両端がブラウン系リクライニングシートで、中間がバイオレット系リクライニングシートとあります。編成は先頭からキハ110-3・-2・-1でしたから、量産先行車中における奇数車番がブラウン系シート、偶数車番がバイオレット系シートという事になります。
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釜石に到着した急行「陸中3号」です。
新花巻で撮影した-3ではなく、こちらは後部の-1です。して、連結器カバーに大注目!!-3は小振りで銀色のものですが、こちら-1は大振りでグレーのもの。テストケースとして仕様を違えたのでしょうか?興味深いです。
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スイング式のプラグドアも当時は斬新で何とも未来的でした。251系「スーパービュー踊り子」然り・・・。しかし結局大成はしなかったですね。キハ110系でも200番台からフツーの引き戸にマイナーチェンジしています。
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同じく釜石です。
手前からキハ110-3、キハ110-2、キハ110-1です。模型のネタですが、このブラックフェイスにパイプスカートの仕様・・・出して欲しいです。今は昔と違って糞みたいなニッチモデルでも無駄に売れる時代です。
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そして〆のコマ。
「鉄の街」を印象付けるような背景との取り合わせも、今からすれば夢のようです。
そして外野だからこその言いたい放題・・・そろそろピク誌あたりでキハ110系(100系)特集が組まれても良い頃合いかと思います。実車のデビューから既に四半世紀越えの27年、「秋田リレー」へのワンポイントリリーフながらの特急運用への充当、急行運用の廃止、水郡線からの撤退、飯山線眺望車、そして「おいこっと」等々・・・。時代時代で姿を変え、路線間の転配も繰り返されてきたキハ110系(キハ100系)の歴史は、既にそれなりの「重み」が醸成されていると思うのです。

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by odoriba96 | 2017-01-30 21:36 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)
2017年 01月 17日

「スケ色」と「スカ色」(何かの予告編?)

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2011(平23)年1月25日、7時半過ぎの品川駅7番線・・・無論、現在のような改良工事前です。

どんなカタチであれ、スカ線のE217系が朝の品川駅7番に入線という事自体イレギュラーですが、それはそれとして、画像左の「新色」帯を巻いた機器更新編成のY-107(附属編成)と、画像右の「旧色」帯を巻いた未更新編成Y-04(基本編成)とのカップリングを認識ください。E217系の機器更新は約4年を要していますが、その過渡期には画像のようなシーンがまま見られました。

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by odoriba96 | 2017-01-17 23:00 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)
2016年 10月 15日

勝田区の485系、うたかたの「密自連」装備車とは

過日の上沼垂色に関する糞記事から米欄を通じて思わぬ展開?を見せた、1992(平4)年7月にウチが撮影した勝田区485系300番台が密自連装備車であったという件。これについて先ず思い浮かんだのは「14両運転が関係しているのか?」という事。しかしそれは手許の資料をひっくり返した結果無関係であったのですが、ここではもののついでというか、引用記事の流れ的に14両運転についても触れたいと思います。

その14両運転とは7両編成の485系を2本併結とした特急「ひたち」の事で、これはweb上でも1993(平5)年12月改正からとの記述が見られます。定期運用としてはそうなりますが、実はそれ以前からテストケース的なイレギュラーで14両運転は行われていたのです。
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1冊目の参考文献は「鉄道ファン」誌1993年4月号(通巻384)で、読者投稿のPOST欄からです。
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(以下引用)

去る(※1993年)1月3、4日の2日間、勝田区の485系が、7連+7連の堂々たる14両編成で運転された。“ひたち”122号がそれで、通常は勝田ー上野間運転、7連使用の1072Mだが、この両日は、122号の運転区間延長という形ながら、平ー勝田間臨時9072Mとして“あいづ”用連を運転、勝田からは通常の7連を併結し、勝田ー上野間1072M、14両編成となったもの。これは、利用者から混雑による苦情が出ているため、試験的に行なわれたもようで、結果によっては、現在651系使用の一部列車が、485系14両編成となりそうである。

(引用ここまで)

485系「ひたち」14両運転の嚆矢は、日付からして恐らく年始のUターン帰省客向けと思われる夕刻の上り「ひたち」でした。この1072Mと上野着後折り返しの1071Mは14両運転定期化後はその該当となり、金曜日と日曜日(除く祝日)限定ながら14両で運転されていました。
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2冊目の参考文献は「鉄道ファン」誌1993年12月号(通巻392)で、読者投稿のPOST欄からです。
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(以下引用)

常磐線の“ひたち”号は、今年の正月以来、上り列車のピーク時に14両運転を行っているが、今回、8月15日の“ひたち”114号が新塗色K6編成+旧塗色K3の14両編成で運転された。また、おそらくこの併結運転に備えてのことと思うが、ボンネット形クハ481の-31、-34、-38の3両の連結器が、向日町所のクハ481のように密連に改造されている(余談だが、-34は、常総学院応援列車として大阪へ顔を出している)。
また、大洗鹿島線乗入れ計画(編集部注:残念ながら実現せず)により、自連に改造されていたクハ481-315、-1101も密連に戻されている。

(引用ここまで)

この2冊目の記事には多くの重要な情報が見出せます。まず14両運転が「今年の正月」とあるように、1冊目の記事にある1993年1月を嚆矢として、「以来、上り列車のピーク時に」という事から断続的に14両運転が行われていた事を匂わせます。それにしても上り列車のみというのが意外というか、「ひたち」は上り列車の混雑傾向が強いキャラなのでしょうか?

そしてもう一つ、「大洗鹿島線乗入れ計画」という突拍子も無いキーワードが出てきましたが、その乗入れ計画で自連に改造されたクハ481-315、-1101の2両が密連に戻されたという記述からも、「ひたち」の14両運転は密連を介して行われた事が明白で、表題の密自連は14両運転と何の関係も無かった事が裏付けられます。それでは、その気になる「大洗鹿島線乗入れ計画」を振り返ってみましょう。
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3冊目の参考文献は「鉄道ファン」誌1991年8月号(通巻364)で、読者投稿のPOST欄からです。
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(以下引用)

去る(※1991年)5月8日、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線(水戸ー北鹿島間)に勝田区の485系7連が、宇都宮運転所のDE10 1604に引かれて入線、水戸ー大洗間を1往復した。これは、7月21日から上野ー大洗間で運転されるJR直通臨時特急“大洗シーサイド号”(仮称)の乗務員訓練であった。同鉄道線に電車が入線したのは、開業以来初めてのことであった。なお、営業運転では、485系のサービス電源供給のため、電源車が組み込まれる予定である。
●編集部から:市販時刻表6月号にも本文掲載ならびに訂正が出ていますように、確かに特急“ビーチイン大洗ひたち”として、485系の鹿島臨海鉄道大洗までの直通運転が予定されていました。しかしながらJR東日本としては、昨今の出来事をふまえて自粛、直通乗り入れは中止とし、上野ー水戸間での運転としています。ファンとしてはとても残念なことですね。“(水前寺)有明”用のようなヨ改造(?)の電源車も用意されていたことと思われるのですが・・・。

(引用ここまで)

時間的な時系列が前後しますが、これが2冊目で触れた485系の大洗鹿島線乗り入れ計画です。これについては「485系 大洗鹿島 乗り入れ」というキーワードでググれば数件ヒットするので、実は言うほど知られざる事象ではないです。そして記事中に「昨今の出来事をふまえて」とありますが、これは言わずもがな信楽高原鐵道における列車正面衝突事故です。本当に恐ろしい事故です。ウチは当時厨房でした。485系の大洗鹿島線への訓練による初入線のまさに直後に、事故が発生してしまったのです。

3冊目の記事では485系の車番等の記述がありませんが、ここで2冊目に立ち返りますと「クハ481-315、-1101が大洗鹿島線乗入れ計画に際し自連へと改造された」旨の記述が確認できます。但しその記事中では「自連」とありますが、これは結果的に「密自連」が正です(後述します)。自連も密自連も形状としては似ていますし、お互いアダプターを介さずに連結できる互換性はありますが、連結器の種類としては別物ですから、ウチ自身の平時の記述も含めてそういった部分は十分気を付けたいと思います。一度独り歩きし伝播してしまった誤情報を正すのは容易なことではありません。
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4冊目の参考文献です。「鉄道ダイヤ情報」誌1997年9月号(通巻161)です。
さて、その自連を装備したクハの車番までは判明しましたが、ウチが撮影した記録がその車番であるかどうかの裏付けがまだとれていません。そこで編成番号を確認したいと思います。この4冊目の特集「485・489系ワンダーランド」は、2刊に亘って当時時点における485・489系配置区所の全ての運用や概況、そして編成車番を紹介するというもので、90年代の485・489系を模型で再現するにあたっては一つの目安となる、激烈に有用なものなのです。ウチは当然この「東日本編」と併せて「西日本編」も保有しております(これでも一応「資料厨」ですのでw)。

この特集は目前となった1997年10月改正、そう・・・信越本線横川~軽井沢間廃止を含む大改正でしたが、本改正で「ひたち」の485系は半数がE653系に置換され、ボンネット車は事実上引退(のちにK7編成が国鉄色となりイベントに活躍しますが)するという、まさに勝田区の485系が最後の光彩を放っていた時期を収めているのです。ではその勝田区の編成表を見てみましょう。
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赤枠の車番は、自連に改造されたというクハ481-315、-1101です。当然のように同じ編成に組み込まれています。編成番号はK1ですね。この資料は1997年当時ですが、ウチが1992年7月に撮影した編成は一体?
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これではもちろん判然としませんので、拡大してみましょう。
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!!!!!辛うじて「K1」と見えるかっ!?
というかもう間違いないでしょう。そもそもが1点モノの勝田区485系自連装備車において、車番が幾つもあるわけがないのです。そしてウチが1992年7月29日に「ひたち101号」で撮影したこの画像の通り、連結器は「自連」ではなく「密自連」です。密自連は自連とアダプターを介さず連結できますから、DE10との連結も問題ありません。以下、結論を纏めますと・・・

・ウチが撮影した例の新塗色「ひたち」は、K1編成(いわき方クハ481-315、上野方クハ481-1101)
・同編成は1991年夏の大洗鹿島線乗り入れ計画に際し密自連へと換装されるが、計画は中止
・密自連はそのままに新塗色化され(1992年時点)、1993年?に密連へと復原された

となります。
ここまでの無駄に長ったらしい記事を全部スッ飛ばして、上の3行だけ読めばスッキリですw 

485系の大洗鹿島線乗り入れ計画自体はさすがにウチも知っていました。しかし、まさかその当事者であるウチが撮影した画像が、その該当編成であった事は今日2016年10月まで未知だったのです。実に約四半世紀の時を超えて知らされた事実、ウチが情弱なだけなのかもしれませんが、こういった事があるから鉄道実車趣味は面白い!「一枚のキップから」ではないですが「一枚の画像から」の如く、米欄での指摘が無ければここまでの展開はありませんでした。単なる揚げ足取りではなく素直に疑問と感じた事象の突っ込み、大歓迎です。ありがとうございました。
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by odoriba96 | 2016-10-15 10:06 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)
2016年 10月 11日

485系上沼垂色の記録

このところの9ミリにおけるニューアイテムのリリース傾向、カトーは蒸機や旧客といった壮年向けか、ニューエイジのステンレスカーで若年層向け・・・と、二極化している印象があります。しかし、そんな中でもちゃんと「90年代」のウチらの世代のアイテムをリリースしてくれるのが、意外?にもお富さん(TOMIX)だったりします。

最近では485系上沼垂色のニューリリースがありましたが、これとリンクして思い出したのが「スーパー雷鳥」。トミックスからはもう20数年前ですか・・・実車のデビューからほどなく製品化されたのですが、当時これが欲しくてお年玉で何とかならないかとも思いましたが、足りなかったのです・・・額面的に。なので実は結構憧れていたモデルなんですよね。

でもって某氏に在庫調査を依頼したりもしたのですが、あれって初期新集電なのですよ(汗 なので基本7両、増結3両、基本の差し替え用5両セット全てにM車が含まれるとう、初期新集電機構の欠陥を2M化で強引に纏めた仕様となっています。故に単価も高く、そこにトワイライトの24系よろしく車輪や台車の交換というのはねぇ・・・。

その「スーパー雷鳥」はさておきというか、その次ぐらいに好きな485系が表題の上沼垂色です。当時は北越・雷鳥色とかグレードアップ車とか言いましたね。JR東においては「あずさ」に続く既存特急列車のグレードアップ化事例でした。それではウチが撮影した上沼垂色の記録を少々展開してみましょう。
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再掲ですが最も旧い記録がこれです。四半世紀前の1991(平3)年5月4日に魚津水族館近くの魚津~東滑川間で撮影したものです。田圃の水面に若い苗が揺れる萌芽の頃、残雪の立山連峰を横目に築堤を駆ける485系0番台ボンネット車は、それが例え国鉄色でなくとも「美しい」の一語に尽きます。写真の上がりはドイヒーですが・・・。
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1991(平3)年5月5日、倶利伽羅での撮影です。名所・倶利伽羅峠を訪れてはみたものの事前調査はゼロであり、当然のように撮影地の見当が皆目付かず諦めて駅へと戻った折に記録したのがこのカットです。ボンネット車への国鉄色以外のカラーのコーティングはそれこそ「厚化粧」ですが・・・だがそれがいいw 白山色や九州のレッドは特に好き嫌いが激しいと聞いたこともありますが、上沼垂色やひたち色を含めてどんぐりの背比べでしょう。
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大阪駅に入線する上沼垂色は、4灯前照灯も凛々しい1500番台です。しかし既に気の早いレチによって幕が回転させられており、タイミング的に何故か「快速らくらくライナー」w
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ホームに到着した後も幕の回転は続いています。デジカメが一般的な記録媒体である今日ならば無制限に等しくシャッターが切れますが、この当時は銀塩カメラ・・・フイルムなので湯水のごとく消費できません。そこで何故かシャッターを切ったのが「かもしか」w
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次いで「びわこライナー」・・・結局上の3コマがこの時にシャッターを切った全てです。お粗末様でした。観ての通り編成両端が1500番台です。
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ところ変わってこちらは長岡・・・だったと思います。やはり1500番台先頭の編成で、今度はちゃんと「雷鳥」で撮れましたw 運転室窓に辛うじて「T2」と編成番号が確認できました。
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そのT2編成のうしろ・・・ありゃりゃ、チャンピオンマークが無い!!チャンピオンマークはあの逆三角形のシンボルマークのことです。ノッペラボウとまでは言いませんが、「あるべきものが無い」のはやはり違和感を覚えます。ところでそのチャンピオンマーク、いつ落としてきた(違 のかというと・・・
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1992年7月29日、我孫子にて「ひたち101号」・・・犯人はこいつかー!
そう、T2編成のチャンピオンマーク無しのクハは、ひたち色出自だったのです。確かE653系の投入による玉突き捻出で、ボンネットクハをこれで置き換えたのです。

上沼垂色の485系先頭車は、0番台のボンネット車に始まり200番台、300番台、1500番台、そしてチャンピオンマーク無しの300番台とバラエティーに富み、運用範囲も日本海縦貫線全区間(「白鳥」に充当されていた時期あり)に及ぶものであり、印象に残っている向きもあろうかと思います。えっ、3000番台?あれはどうもねぇ・・・「はつかり」色はカッコイイんだけど、なんでかな~(何
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by odoriba96 | 2016-10-11 12:34 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(6)
2016年 09月 08日

「1997→2017」あれから20年

何かのキッカケではたと思い出す事があります。
今年は2016年・・・そう、来年は2017年です!
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1997年9月30日、私は横川に居た。


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あれから20年。


2016年も残すところ3か月チョイ・・・とうとう来てしまった。
来年の今頃、ウチは何処で何をしているのか、平時と変わらないのか。それとも「あれから20年」の事なぞすっかり亡失しているのか・・・想像もつきません。
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by odoriba96 | 2016-09-08 21:52 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(2)
2016年 09月 07日

新鶴見区の保管車両~西武E44のこととか

何かのキッカケではたと思い出し、色色探りを入れてみれば思わぬ消息が判明する・・・そんな事があったりもします。今回触れる「新鶴見機関区に保管されていた西武のE44」がそれで、何と同機は昨年(2015年)まで現存 保管されていたというのです。先ずはそのE44の履歴をザックリ見てみましょう。


 1929(昭4)年10月  青梅電気鉄道2号形4号機関車として竣工 英国デッカー社製
 1944(昭19)年  政府買収により路線国有化 2号形4号も1010形1014号に改番
 1952(昭27)年2月  ED36 2に改番 
 1960(昭35)年2月  用途廃止
 1960(昭35)年10月  西武鉄道に譲渡
 1961(昭36)年12月  E41形E44に改番
 1987(昭62)年6月  廃車
 1990(平2)年4月  JR貨物に譲渡 新鶴見機関区で保管
 2015(平27)年  解体新鶴見機関区から搬出

※以上、手元の資料や教示を参照に纏め


JR貨物が車齢60年の老朽機関車をわざわざ買い取ったのは、本線での運用を目論んでの事なぞであろうはずもなく、他ならぬ保存の意図によるものでしょう。そのE44を、ウチはJR貨物へのお迎え直後である1990(平2)年8月26日に、新鶴見機関区での夏祭り公開時に記録しています。
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右手前のEF64 1010がピッカピカで眩しいです。展示車両はEF200-901、EF500-901、EF65 9、EF66 115、そしてE44。偶然ながら隣接留置線ではEF65 1065が友情出演?していました。
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車両基地公開における動員数も今日とは比較になりません。webサイトもモバイルも無かったあの時代だからこそでしょうか。はたまた鉄道趣味の「一般化」、即ち敷居が著しく低くなったからなのか・・・まあどうでもイイですがw
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E44が衆目に触れたのは平成初期の一般公開時までで、四半世紀の長期に亘り新鶴見区の一隅で人知れず鎮座していたのです。昨2015年まで現存保管という衝撃の事実はwebサイトであり、その画像によればDL庫のうちの1番線に居たようです。ウチはその傍らをスカ線でほぼ毎日通過していましたが・・・(汗 そして同年秋、台枠と車体とに分離されトラックに載せられた姿の画像もまた衝撃的でした(別のwebサイト)。

新鶴見の保管車両といえば、DE15 1も忘れられません。首都圏では異様なラッセルヘッドを要したトップナンバーもゼロ年代までは現存していたはずですが、すでに解体されています。このDE15 1は何と北海道から鉄路回送のうえ新鶴見まで運び込まれたもので、これもまた保存の意図によるものでしょう。思えばJR貨物は高崎機関区のEF63 14(解体済)といい、実務の貨物輸送とは無関係な車両を幾両か保有していたわけで、これらを一纏めにした博物館的な構想があったのか興味が持たれます。時期的にも、景気が良かった時代というかバブルの余韻がまだまだあった頃です。
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そのDE15 1の衝撃的な鉄路回送シーン掲載誌は「鉄道ファン」1991年1月号(通巻357)です。
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読者投稿のPOST欄から転載。
何とラッセルヘッドを装着したままワムハチと機関車に挟まれながら、青函隧道を抜けて新鶴見の僻地まで運ばれてきたなぞ、今からしても当時でもまさにミラクルでした。腕とサイフに自信のある向きは、ぜひ模型で再現してみては如何?
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by odoriba96 | 2016-09-07 08:57 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(6)
2016年 06月 18日

近郊形グロベンwithAU712/SIV

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・モハ113-177  千葉


昨今は若い世代を含め拡く国鉄形がムーブメントとなっていて、数多のリバイバルというかリメイクを実車レベルで生じさせていますが、そんな中でももはや再現不可能・・・というか、馴染みが無くて受け入れられないのがコレでしょう。

近郊形電車といえば押込形通風器が定石であるという事を否定はしませんが、401・403系然り、113系の初期グループでもグロベン装備車の存在した事、そしてそれらが民営化後もAU712を用いての区所単位で施工できる冷房化改造によって延命した事も、決して忘れてはならないと思います。

ウチにとっての近郊形ノスタルジーはまさにこれ。かつてのスカ線のスターは房総半島に生きていた・・・!!
いずれモデリングしたい(それもGMキットから・・・αベースだったら誰が組んでも無難でしょ・・・)という意欲を心の底に抱いています。
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by odoriba96 | 2016-06-18 21:48 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(6)
2016年 06月 10日

ヤマケイ・・・山と渓谷社「日本の鉄道」!!

先ずは某氏に業務連絡と言うか訂補ですが、山と渓谷社は現存します。
本当にひっ潰れたのは「ケイブンシャ」であり、勘違いでした・・・(汗

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それはさておき!!
かつて「山と渓谷社」が世に送り出した「日本の鉄道」シリーズは当時の国鉄の様相と風土を切り取った名著であり、ウチが「鉄道イコール車両ではない」的な視点を、僅かながらでも有し得たキッカケでもあるのです。これを求めたのは亡き父であり、ウチが経済力ゼロの小学校低学年の最中に順次買い求めていたものです。その点では、父はウチの鉄道趣味に本当に理解がありました(というか、たらしめた張本人ですがw)
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既に手許に来てから余裕で30年を超えています。
別巻の「新幹線」以外は全巻揃っています・・・やはり父も新幹線には大して興味が無かったのでしょう。血は絶対に争えません。この画像ですとまずます?の状態に見えますが、表紙が分離している巻は数冊あり、また表紙/背表紙を喪失している巻もあります。
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by odoriba96 | 2016-06-10 20:52 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(2)