赤い電車は臼い線

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カテゴリ:記憶のレール(民鉄その他)( 22 )


2017年 06月 05日

甦るINVERTER HI-TECH LOCO EF200-901!!

限られた時間の中で纏めたい記事は多々あります。
ユーフォ2期総集編の劇場版と、レズ2人の物語劇場版、事実上の3期ストーリー劇場版等々。そして「やまぐち号」のサイボーグ旧客35系4000番台の出場のインパクト等々・・・ですが、先ずはこれ。

EF200 901登場時の姿で日立水戸に保存でしょう!!
故障休車からの自然発生的な廃車により退役したEF200の試作機である901号機、それが生まれ故郷である日立水戸に昨年秋に帰還したというニュースは、情報過多の昨今にあっては周知のものです。

以後、その動静は不明でしたが、日立水戸は毎年6月の第一土曜日に「さつきまつり」なる催事を展開しているものの、その広域的な事前告知は殆ど無くタブーイベントの感すらありますが、それはそれとして、ウチはEF200-901の展示は確かだろうと予測しつつ、今更ながら直前に確認したら案の定当日は超出勤だったのです(爆 しかし、その予測を超えたサプライズは「INVERTER HI-TECH LOCO」のロゴも眩しい登場時仕様への回帰!!これには心底「脱帽」の想いがします。
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※1990(平2)年8月26日 新鶴見機関区「夏祭り会場」

それにしても・・・滾る想いです。
ウチはこの画像の通り、厨房の頃に訪れた初めての車両基地公開イベントでEF200-901とEF500-901のセッションを目にし、確かなる90年代の幕開けを実感した身なのですから。結果、EF200は「悲運の8000馬力」の通り、本来のポテンシャルを遺憾なく発揮する事は叶わず、EF500もそれ自体は量産化されずEF510へとバトンを繋ぐ事となるなど、捉えようによってはそれは「残念なもの」となりました。

しかし、それは「時代」なんです。
そのステップがあったからこそ、EF210が、EH500が、EH200が生まれたのですから。
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その新鶴見機関区「夏祭り」において、来場者にEF200、EF500、EF66 100の公式パンフが配布されました。いまとなっては「お宝」ですね。以下に、そのEF200版のスキャン画像をぶちまけます(何 このスキャン画像はずっとハードに残してあったのですが、ここにきてまさに絶好の後悔× 公開〇 タイミングとなったのですw
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※1990(平2)年8月26日 新鶴見機関区「夏祭り会場」

もう、このような電気機関車が生まれる事は無いのでしょう。
それにしても日立水戸の「さつきまつり」・・・来年は逝きたいです。同地にはピカピカのED78 1も保存展示されているとの事ですから。EF200-901の登場時の姿を約28年ぶりに目に出来たならば、ウチは間違いなく大粒の涙を流す事でしょう。

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by odoriba96 | 2017-06-05 21:11 | 記憶のレール(民鉄その他) | Comments(0)
2017年 03月 21日

北総(住都公団)9000形が遂に!

鉄コレでまさかの製品化です!!

おったまげですね~。「価格未定」ってのがビミョーにコワい?まさか「時価」なんて事はないでしょうが(爆 某氏あたりは入手決定と思われますが、ウチは四直では京急以外の入線は収拾がつかなくなるので、有井の都営5300を例外としたほかは入線させていませんから、この9000形は指を咥えて眺めるだけです。しかしそうは言っても、鉄コレ伊豆急100系4連2種や、カトーキハ110系小海線似非国鉄色など、私的に押さえるべきアイテムはちゃんと予約していたりもします。

それはさておき、鉄コレに於いては京急1000(Ⅰ)、京成3500未更新に続いての四直アイテムである9000形、その記録を拙いものですが全部出しで製品化を祝しつつ、勇退した実車を偲んでみましょう。
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※京急川崎 9018編成

この9000形を語るうえで忘れられないのは、やはり2000形からの改番でしょうか。他にも京急入線に際しての先頭車電動車化や、8連化による中間車増車など、パッと見の外観以上に時期時期での変遷がハゲしかったりもします。ウチは2000形時代の記録が残念ながら無いのですが、画像の9018編成の貫通扉に掲げられた「住宅・都市整備公団」のエンブレムが今や目に沁みます。行先が「急行 西白井」であるのが何だかレアですが、デフォでこの運用があったという記憶の反面、何らかの理由で誤ってこのコマで停止し、その後正しい表示に再セットされたような気もします。何にせよもう20年以上前ですか・・・(汗
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※京急蒲田 9008編成

こちらも住都公団時代の記録ですね。画像の京急蒲田は言わずもがなの地上時代で、空港線は部分単線の今や想像もつかない時代です。空港線の羽田(→天空橋)開業後約1年は8連の入線が許されなかった事は周知の通りですから、これはそれ以後の記録という事になります。
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※糀谷 9018編成

「急行 泉岳寺」の行先がこれまたレアですが、こちらは冒頭の「急行 西白井」とは異なり、デフォでの運用で存在しました。見ての通り住都公団のエンブレムは撤去されていますから、都市基盤整備公団への改組後でしょう。
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※品川 9018編成

北総車の「特急」が登場するようになったのは1998(平10)年の羽田空港駅(→国内線タ)開業からで、その後には「快特」運用も現出したはずです。9000形の印象いうと、まず四直車両にしては垢抜けすぎていて関西民鉄っぽい外面であったり、座席袖仕切りがFRP?のような材質の板状のもので、見た当初は大変珍しく感じたものです。
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※糀谷 9008編成

空港線内での「蒲田行」ですから、当然のように線内のシャトル便です。この頃はちゃんと素直?に種別を「普通」としていますが、確か羽田空港開業前のシャトル便は、その運用内での前後の種別を継続して表示していたので、例えば京急1000(Ⅰ)によるTH運用では「急行 蒲田⇔羽田」という、通過駅が無いにも関わらず何とも妙な表示をしていたものです。

この糀谷も地上時代の記録ですが、これよりも遡った以前の糀谷は真っ直ぐな線形で、画像のように湾曲していませんでした。これは糀谷の狭いホーム上に跨線橋を設置するにあたり、その「設置シロ」を稼ぐためにわざと曲げたのだそうです。高架化でそれが解消して昔の直線線形に戻ったのは因果でしょうか。
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※糀谷 9008編成

上画像の後打ちです。蒲田での折り返しに備えて既に字幕が「羽田空港」にチェンジされていますw この先は駅伝も通過した踏切を挟んだ部分単線区間で、この9008編成も対向列車の行き違いで低速走行であったはずです。いまや蒲田界隈の様相は激変し地上時代の景観は過去のもの。そして9000形自体もとうとう消えてしまいました。10年ひとむかし、20年おおむかし、30年別世界なんていうのは、決して大仰でない気がします。
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最後に、ウチが有するパスネットカード(使用済)。9000形はそのデザインにも採用されました。

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by odoriba96 | 2017-03-21 13:19 | 記憶のレール(民鉄その他) | Comments(0)
2017年 03月 04日

200系

17形DRCの部品流用で生まれた200系も、既にデビューから26年の四半世紀超えとなっています。まあ100系の1年後の生まれなので当然ですが・・・。

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※1990(平2)年11月15日 本郷台 輸送番号:甲178 9968レ

そしてこちらの画像、撮影年月に注目・・・デビューの前年です。当時のメモに車番が無いのですが、1990年の11月時点で落成した200系は、東急製の201Fとアルナ製の202Fのみ、且つ本郷台を甲種輸送で通過するのですからアルナ製は考えられず、よってこの画像でEF65 1044の後に続くのは201Fと見てまず間違いなさそうです。

蛇足ながらEF65 1044の右隣にチラ見しているのは、タキ3000等の「米タン」を連ねた田浦貨物です。この頃でも不定期運行だったような(荷が無くても単機回送はあった?)記憶があったりも無かったりもするのですが、兎に角こんな豪華?なシーンもあったという事です。
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折角の新車のお顔を機関車のパンタ摺板から発せられるカーボンの飛沫できちゃなくしないよう、意図的に入れ替えて先頭車同士を向い合せにさせています。実車では営業運転開始後に先頭車同士が連結した事はあったのでしょうか(非常時等に)。
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※1992(平4)年7月29日 小菅 「りょうもう5号」

200系は1991(平3)年2月1日に就役し、最終的に209Fまでの増備プラス完全新造の251Fと、計10本が揃えられました。画像の1992年7月時点ですと、205Fが最新落成車で営業運転開始しているかどうかというタイミングですが、ほぼ18形と勢力的に半々であった時期と言えます。
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※2012(平24)年1月21日 浅草

果たしてウチが200系に初めて乗車したのは、実車のデビューから21年目を迎えての、倶楽部の新年会往路においてでした。
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やってきたのは200系としては最終増備車の209Fでした。浅草駅といえば・・・コレは欠かせませんねw
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終点の赤城まで乗車・・・ホームでは200系同士が並びました。
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200系も主電動機や台車関連は17形のものを流用しています。しかし一口に流用と言っても、その台車の経年度合いは、1700系が昭和50年代の交換、1720系は前期は昭和40年代の交換、後期は新造時からのもの等々、幅が広くなっています。検査時の振り替えなども否定できないわけですが、少なくとも30年以上~50年近くの範囲での経年があると見られ、今後何らかの動きがあるのか注目されるところです。

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by odoriba96 | 2017-03-04 11:43 | 記憶のレール(民鉄その他) | Comments(0)
2017年 03月 02日

100系「スペーシア」

この記事が事実上のフラグであったわけですが・・・。近日中に某氏の音頭で快速6050系へのお名残り乗車と、そして・・・
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※1990(平2)年10月28日 鐘ヶ淵~堀切 「スペーシアけごん1号」

100系スペーシア初乗車!!


です。
画像の如くの四半世紀以上前、ウチは実車が1990(平2)年6月1日に就役してほどなく撮影しているにも関わらず、まだ東武100系に乗車した事はありません。そこで此度のツアーにおいて、「スペーシア」としてのみならず、民鉄優等車両における最高峰とも言える「個室」乗車も併せて果たされる見込みとなったのです。

国鉄~JRの寝台客車群を別とすれば、1両まるまるが完全個室のハコというのは、恐らくウチの知る限り「空前絶後」にして唯一の存在であり、それが東武100系の編成一端に連結されているのです。その一端のハコはモハ100-1形(6号車)で浅草方の先頭車ですが、蛇足ついでに言うと形式と号車が逆順なのが何とも・・・ですw
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「鉄道ファン」誌 通巻354号(1990年10月号)です。
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京急ファンとしても知られたロンちゃん(物故)による、東武と京成の「100系」乗り比べ記事は、四半世紀以上経て今尚色褪せないもの!京成のAE100は一足先に引退しましたが、かつて浅草乗り入れで確執を有した両社が、1990年に奇しくも同じ「100系」を世に送り出したのは因縁たらしめたるものがあります。
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まだ200系がデビューしていないとか・・・。
しかし、この時期があったからこそウチは好きになりましたね。運命なんてわからないものです。でなければ東武沿線への通勤通学履歴の一切無い横浜在住の鉄ヲタがどうして好きになろうかと(爆

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by odoriba96 | 2017-03-02 22:26 | 記憶のレール(民鉄その他) | Comments(8)
2017年 03月 01日

6050系

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ダイ改のプレスがリリースされましたが・・・・何処とは申しませんが、今頃になって過大評価されているフシがありますね・・・6050系。
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そもそも6050系の前身である6000系は、ガラクタ同然のハコを繋いだ「準快速」の刷新を図るべくして誕生したわけで。そう、まだ有料特急が大衆化していなかった、即ち「耐貧」」から「一億総中流」への脱却途上の時代の申し子だったのです。

そんな流れを汲んだハコが、たとえ更新されていようとも料金不要列車として21世紀もとうに20年近く経ようという今日まで生きながらえた事は、良く言えば奇跡そのものでありましょう。他方、間違いであったとするならば?それは、此度の料金不要快速の全廃で不満しか連ねない「時代錯誤」な輩が続出するという、悲惨な現実が全てを物語ると思います。

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by odoriba96 | 2017-03-01 22:58 | 記憶のレール(民鉄その他) | Comments(2)
2017年 02月 14日

ペコちゃんの通過標識灯

某氏の東武電車における通過標識灯に関する記事を目にし、なるほど、如何にも東武らしいアバウトさがあるのだなと感じましたw

して、参考にはなるかどうか限りなく微妙ですが、ウチでも昔々のプリントを引っ張り出してみて回想してみたいと思います。その題材は未だに1819F然りで300・350形として現役な、18形で逝ってみましょう。
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・1990(平2)年10月21日 浅草

「ビジネスライナー急行りょうもう」として上ってきた18形です。
見ての通り前照灯は不点灯ですが、通過標識灯はバッチリです。てか、この頃ぐらいまでは昼間は前照灯不点灯がデフォでした。確か踏切障害の増加によってJR東日本が昼間点灯を始めたのが、首都圏における終日前照灯点灯の嚆矢であったはずです。
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・1990(平2)年10月28日 小菅

2週連続で東武詣です・・・この頃はぞっこんでしたね~。DRCも、100系も、東武博物館も!画像は赤城行の急行「りょうもう7号」です。見ての通り今尚原色を留める1819Fですね。では灯具類はというと、通過標識灯はボンヤリと点いているようにも見えますが、前照灯は当然のように不点灯です。これはこういう時代だったので仕様です。
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・1992(平4)年8月10日 小菅

上りの「ビジネスライナー急行しもつけ」です。
今も現役のこのカラーですが、既に四半世紀前ですよ・・・奥さん(爆 こちらは前照灯はおろか通過標識灯も不点灯です。
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・1992(平4)年8月10日 小菅

同日の急行「りょうもう9号」赤城行です。
前照灯は不点灯ですが、通過標識灯はバッチリです。この頃は既に200系への置換が進んでいて、18形の去就が注目されていた頃でした。
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・1992(平4)年8月10日 小菅

その急行「りょうもう9号」の後打ち・・・通過標識灯は当然点いていませんw
まあ何というか・・・18形イイですよね~。実車はもうぎりぎり一杯でしょうが、今も現役なんて東武らしくて素敵です♪

結局、通過標識灯については何の解決にもなりませんでした(爆


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by odoriba96 | 2017-02-14 19:47 | 記憶のレール(民鉄その他) | Comments(0)
2017年 02月 12日

あれから20年~京阪京津線併用軌道区間1997/2009・そこに鉄路は確かにあった

本年2017年は、国鉄分割民営化すなわちJRグループ発足から30年、そして信越本線碓氷峠区間廃止による在来線幹線の前例無き分断を伴った長野新幹線(→北陸新幹線)開業から20年等の、大きな節目となる事は鉄ヲタ諸兄なら周知の事とは思います。

そしてもう一つの忘れ得ぬトピックとして、京阪京津線の京都市内併用軌道区間の廃止を伴う京都市営地下鉄東西線の開業、これが1997(平9)年10月12日の事であり、これもまた20年の節目を迎える事となるのです。

弊糞ブログでは、旧ブログ時代の2009年2月に京津線廃線区間の廃線跡を探訪していますが、これとは別に過日、模型仲間ののび鉄氏が1997年7月の廃止3か月前の京津線併用軌道区間の記録をupされました。その画像の中には幾葉かウチの廃線跡探訪記事と撮影箇所が被るものがあり、極めて感慨深く、また興味深く思いました。

ウチは悲しいかな、京津線の併用軌道区間現役時代の姿を中学の修学旅行の折りに目にしただけで、当然それを記録した写真の類は一切ありません。当然乗車も果たせていませんから、現役時代を知らないも同然。他方、のび鉄氏は撮影目的で併用軌道区間を訪れ、また乗車も果たしています。この全く条件の異なる両名が、12年の時空を超えて撮影箇所が被るという事、それは偶然か必然か?

そんなジャッジメントが全く無意味に思えるほど変貌した京津線併用軌道区間、その12年のインターバルがもたらした激変ぶりを対比画像でお楽しみください。なお言わずもがな、以下における京津線併用軌道区間現役時の記録は全てのび鉄氏の撮影によるもので、全面的な許可を得たうえで弊ブログに掲載させていただくものです。
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2009年2月の御陵駅跡です。
画像奥が山科・浜大津方で手前が三条方。これより三条方向に進路を採りたいと思います。旧ブログ記事でも触れていますが、画像のプラットホームの上屋のようなものはモニュメント的カラーの強いものであり、現役時代のものが存置されているわけではないと思われます。
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1997年7月の御陵駅です。
国道1号線を渡った側から望んだ景ですが、角度的にはほぼ同一です。ホーム上屋は見ての通り、現役時とモニュメントとでは別物に見えます。正面に見える白いタイル貼り?の建物が廃線後も健在で目印になります。
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2009年2月の日ノ岡、奥が三条方です。
京阪バスのエアロスターKが走り去って行きますが、その先にある柵がエメラルドグリーンな外付け階段に目が行くかと思いますw それをアタマに入れていただいて・・・
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1997年7月の日ノ岡・・・完全に一致(爆
うっさい事を言うとウチのほうが浜大津方に寄っていますが、先の外付け階段のお蔭で同一地点との判断が容易です。廃線後は歩道が敷設されているのにも注意。
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2009年2月の日ノ岡~九条山間、手前が三条方です。
ここでウチは何故シャッターを切ったか?山越えの様相を深めつつある最初のカーブだったから?浜大津方のビスタが印象深かったから?
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1997年7月の日ノ岡~九条山間・・・答えはここにありました。
12年の時空を超えた対比をするために、あの場所でシャッターを切ったと言わざるを得ません。現役時の左隅に見える、屋上に白いハコを2個載せた薄茶色のビル、廃線後画像の真正面に見えているビルと一致します!凄い!ウチが2009年にカメラを構えたポイントは、現役時であれば線路内なのですね。
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2009年2月の九条山駅です。
ここは有名すぎるので場所が被っても当然といえば当然かもですが、そもそも撮影者が違うのですから被らない可能性もまた等しいのです。それはさておきですが・・・
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1997年7月の九条山駅です。
どちらの画像にも見える、右隅の階段と国道1号線の横断歩道が目印になろうかと思います。
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2009年2月の蹴上です。
ここは桜の名所だったようで、亡き友人もこの場所をモチーフにした路面カーブモジュールを製作していました。ここでの目印は画像中心よりやや右に見えるトンネルの坑口です。この坑口の上がインクラインの軌道になっています。
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1997年7月の蹴上です。
先のインクライン下のトンネル坑口が、80形の右に見えますね。
くどいようですが、ウチは京津線併用軌道区間の現役時代をほぼ知りません。ここまでの撮影場所で、現役の京津線の姿を一度も目にしていないのですから。しかし・・・2009年2月のウチは「ここに鉄路があったなら・・・」の一心でシャッターを切りました。それは本能的なものであり、やはり鉄路があった頃の記録にこうして接しますと、「その本能は直感であった」との念を強くする思いがします。

さて、のび鉄氏撮影の現役時とウチが撮影した廃線後各々の記録、その対比は以上となりますが、最後に一葉、のび鉄氏撮影の記録で極めて印象深いものを紹介させていただきたいと思います。
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三条付近ので撮影された600形601F、手前が三条方です。
ここで着目すべきは車両ではなく、実はそのバックに見える「いろは旅館」なる櫛形看板を掲げたビルディング、何とこの「いろは旅館」、ウチが先に述べた中学の修学旅行での宿泊先だったのです!

ウチはこの画像を、実は2012年7月ののび鉄氏宅訪問時に目にしています。その折りの驚きは筆舌尽くしがたいものでしたが、偶然もここまで重なるともはや偶然ではなくなります。これ即ち、偶然か必然かのジャッジメントはどうでもよくなるのです。

その「いろは旅館」、当然客室からは眼下に京津線の姿・・・光の海に埋もれながらゆっくりと大きな車体をゴロゴロと転がす600形等、その光景はまさに衝撃の一言でした。それから幾年かが経ち、古都と湖都を結ぶインターバンへの焼けつくような想いは、やがて鉄道模型を通じて具現化できるようになったのです。

※追記:「いろは旅館」は一昨年の12月に閉館し解体されてしまったそうです。

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by odoriba96 | 2017-02-12 22:17 | 記憶のレール(民鉄その他) | Comments(2)
2017年 01月 21日

ダブルデッカー四重奏

表題で連想するのは「グランドひかり」。
しかしその後、215系がデビューして八重奏(両端先頭車は1階が無いので)が現出しましたが・・・。
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そして、甲種輸送はこんな四重奏もありました。
1991(平3)年7月8日、大船~戸塚間において根岸線と東海道本線が分岐して程なくの場所にある、飯島跨線橋から撮影したEF66 123牽引の8862レです。被牽引車はキサロハ182、なんと北海道の「スーパーとかち」向けのダブルデッカーです。既に現車は全車解体されているとか・・・時の移ろいは早いものです。

撮影場所の同地点も、現在は線路沿いに戸建が建てこみ開発され、かつての面影無く撮影地としては完全に機能しなくなっています。これもまた時の移ろいを実感します。飯島跨線橋はかつてのウチの居住エリアである本郷台からは自転車圏内でしたから、大船界隈と併せて頻繁に足を運んだものです。

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by odoriba96 | 2017-01-21 20:49 | 記憶のレール(民鉄その他) | Comments(0)
2016年 07月 22日

あれから20年~おかえり「赤い貴公子」

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※1996年7月20日 四ツ谷

既に各メディアで報じられていますが、「地球の裏側」アルゼンチンのブエノスアイレスにて第二の人生を20年に亘って続けてきた、営団丸ノ内線の旧型車両が里帰りを果たしました。かつて他ならぬウチは1996年夏の川崎市営埠頭で旅立ちを見送りましたがその時から20年を経て、再び国内に戻ってこようなどとは夢にも思いませんでした。
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※1996年8月 川崎市営埠頭 この584号も里帰り予定とのこと

大黒ふ頭に数日前に到着した車両たちは、順次中野の車両基地へと陸送され、ゆくゆくは構内走行可能な程度までの復元云々とありますから、その動静が注目されましょう。今回里帰りを果たすのは4両とされ、その車番全てが先のリンク先にある川崎市営埠頭に並べられていた18両のうちに含まれており、まさにウチが20年前に川崎市営埠頭で見送った顔ぶれの一部が里帰りを果たすのです。感慨無量・・・これを守さんと分かちたかった。
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by odoriba96 | 2016-07-22 13:11 | 記憶のレール(民鉄その他) | Comments(2)
2016年 03月 26日

24年前の夏のあの日

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・1992(平4)年7月17日 江ノ島

昭和ヒトケタ生まれの古豪・302Fと、昭和50年代生まれのフレッシュな吊り掛け電車1002Fが肩を並べたワンシーン。各々が密自連の時代ですが、カプラー高さが違うのに注意。この当時はまだそれぞれ同士で互換性が無かったのでこれが仕様でした。やっぱ濃淡グリーン/菱形パンタの1000は最高だよなぁ・・・。

生まれた時代が違い、見た目も中身も全てを異にする吊り掛け駆動の連接車。
そんな車両たちが片瀬の海辺で潮風を浴びながら駆け抜ける景に、ウチは大いに魅了されました。時に、未だティーンエイジャー。

あの頃の江ノ電が好きだった。
否、語弊があるでしょうか。

あの頃 「も」 江ノ電が好きだった。

此の時から24年を経た2016年夏、再びこの地で想い出を噛みしめられる日を心待ちにしています。
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by odoriba96 | 2016-03-26 22:00 | 記憶のレール(民鉄その他) | Comments(0)