赤い電車は臼い線

odoriba96.exblog.jp
ブログトップ
2015年 07月 12日

キハ55系準急「あさま」!

久し振りにマトモな鉄分記事です。ウェヒヒ

現在、北陸新幹線の東京~長野区間便の名称として用いられている「あさま」は、その時代時代のコンテンポラリーから在来線電車特急時代のイメージが強い向きが大勢かと思います。しかしここにきて、では「あさま」の起源は如何なる列車であったか?と問われて浮かぶイメージとなると、ピンと来ない向きもまた大勢でしょう。

その「あさま」なる列車が生まれたのは1961(昭36)年3月改正の事。「よねやま」(901D・904D)とともに903D・902Dとして新潟~長野間に新設された準急列車がその端緒であり、従前、普通列車で7時間を要していた同区間を実に4時間足らずで結ぶという、まさに「大気動車網時代」の寵児面目役如たるものでした。「あさま」を名乗るにも関わらず浅間山の麓まで来ない?というのは上辺のハナシで、実際には長野~小諸間は普通列車として連続運用されています(912D・913D)。

準急色も眩しいキハ55系の新潟機関区(新ニイ)所属車でデビューした「あさま」ですが、翌1962(昭37)年12月には名古屋~長野間の客車準急「きそ1号」と統合され、名古屋~新潟間を直通する急行「赤倉」へと発展を遂げます。「あさま」の名称自体はそれまでの準急「妙高2号」(夜行)の改称へと充てられ、DC準急で生まれた名称は1年少々で夜行客車準急へとたらいまわしにされます。

夜行通過区間であるがゆえに「車窓から浅間山の見えないあさま号」とかそんな皮肉が出たかどうか、はたまたそれにケチがついた?のか、翌1963(昭38)年10月の碓氷峠粘着運転開始に合わせて準急「あさま」は急行格上げのうえ「丸池」へと改称され、此処で「あさま」の名はとうとう一度お蔵入りしてしまいます。在来線電車特急以前の「あさま」のイメージが定着しないのはローカルさ然り、僅か3年における複雑な変遷もそれに輪をかけていると言えましょう。

その後は1966(昭41)年8月の直江津電化から遅れる事2ヶ月後の10月改正で、上野~長野間を結ぶ電車特急として181系による2往復が新設され、生まれ変わった「あさま」は新たなる歴史を刻み始めたのです。そして1997(平9)年9月に在来線から新幹線へとスイッチし、2015(平27)年今日の北陸新幹線開業後も長野区間便として「あさま」は健在であり、リスタートから間もなく50年を迎えるその名にエールを送らずにはいられません。
c0360684_1222628.jpg

そんなわけで入線・・・無論中古ですがw
安ければ良いとも限りませんが、トミックスの近年のアイテム(敢えてHGとは言わない)は得てして高額なので、やはり廉価(とも限らないのですが)な中古市場に頼ってしまいます。此度のキハ55系ですが、実車のコンテンポラリーが1980年代までをカバーする(1986年まで活躍)急行色のほうが人気があるのに対し、準急色は旧すぎるのかそれとは対照的に比較的入手しやすい事もあり、M入り4連でほぼ基本セットの税込定価相当でした。

車番が相変わらずのインレタですが4両と両数もまだ少な目ですし、前述の通り「あさま」は新潟機関区受け持ちなのでその所属車番にしてみようと目論みます。以下は1961(昭36)年4月1日時点の新潟機関区におけるキハ55系の配置車番です(おもな充当列車は「あさひ」「月山」「あさま」「よねやま」)。


 キハ55・・・213 214 215 230 231 240 241 242 243 244 245 246 247 (計13)

 キハ26・・・233 234 235 236 237 238 (計6)


「あさま」「よねやま」の信越国境越え然り、勾配線区への対策として当然のようにダブルエンジンのキハ55配置が多くなっています。編成は4連で基本的に3M1m(Mはダブルエンジン、mはシングルエンジンの標記)のようである事から、今回入線の4両もキハ55が3両、キハ26が1両の内訳としています。車両仕様ですが車番の通り全て一段窓車であり、バス窓車は配置無し。これも今回の入線に反映しています。

車番インレタの転写もさることながら、別付パーツの類も少々あります。
しかし早速の夏バテ?なのか、そんな気にもなれず・・・。積み上げる箱はいや高く、やがてそれらに埋もれ行く日も本当に来るのかもしれません(何
c0360684_1651039.jpg

キハ55系準急色の実車における活躍期間は、1956(昭31)年以降恐らく1965(昭40)年頃までと察せられ、1986(昭61)年まで現役であった急行色と比すると何とも短命でした。その準急色から急行色へスイッチした製造年次ですが、二次資料のうえでは昭和34年度車(キハ55-138~、キハ26-122~、キロ25-14~、キロハ25-6~)とされていますが、例えば昭和34年度車であるキロ25-28やキロ25-43の準急色の記録(ピク誌№729)が残っていたりと、必ずしも資料上の解釈と実態が100%合致していたかどうかは疑わしい面もあります。
c0360684_1701424.jpg

前述した通り、キハ55系における時代時代のコンテンポラリーは国鉄末期まで見られた急行色の比重が高いようで、トミックスの本アイテムについても市場での需給状態にそれが顕れているようです。しかし私的にはこの準急色は言うなればキハ55系に端を発したアイデンティティであり、寧ろ後発のキハ58系等にイメージをとってかわられた急行色よりもスマートに映え魅力を感じるのと共に、何と言っても模型的には蒸機との親和性がハンパ無いんですよね・・・。準急色の活躍期間たる1950~60年代といえば、国鉄線上の蒸機は北海道から九州まで掃いて捨てるほど溢れていたどころか、ヘタすりゃ山陽本線だってまだ蒸機牽引です(全線電化は1964年・・・和田岬線を除く)。
[PR]

# by odoriba96 | 2015-07-12 12:18 | 9ミリ(気動車) | Comments(2)
2015年 07月 11日

ユーフォが炙り出した・・・

弊倶楽部メンバーと、その近親者の方々の意外?な素顔・・・。


・弊倶楽部の会長様は学生時代にパーカッション担当であり、且つそれにより推薦入学を果たしているという大物!

・そして会長様のニョーボもまた学生時代パーカッション担当であったということ

・ウチの基地外トークにいつも付き合っていただいている某氏は軽音楽部出自。これは既出ですが・・・

・その某氏の令嬢はパーカッション担当!

・更にその某氏のニョーボは学生時代何とUFOニアム担当であったということ!


う~ん、偶然にしては出木杉クンですが、それほど巷間における吹部率は高いのかとも思います。
で、肝心?のウチの出自はというと・・・
c0360684_2220529.jpg

糞写真部ですが何か(涙


画像は中軽井沢駅至近の超有名撮影地ですが、空気が澄んでいてかつガスっていない浅間山を望むのはナカナカ難しいなか、ロケハン下見前泊一切無しのぶっつけ本番でこの絶景が望め、居合わせた他の同業者と交歓した感動は20年近く経った今でも忘れ得ません。その東信の母なる山・浅間の懐を駆けるのは「白山」305M!ボンネットスタイルに施すカラーリングとしては賑々しく賛否がありますが、ウチはこのカラー結構好きですよ・・・。1997(平9)年3月8日の事でした。
[PR]

# by odoriba96 | 2015-07-11 22:27 | おまわりさんこっちです | Comments(2)
2015年 07月 10日

(タイトルありません)

ユーフォのサントラ入手が先延びになっていてショック死寸前です


それはさておき、諳んじて各パートリーダーを想起してみます。


トランペット・・・中古先輩(中世古香織)

低音・・・あーすーか(田中あすか)

トロンボーン・・・野口ヒデリ

パーカッション・・・渡邉名来(ナックル先輩・・・自連のアレか?w)

ホルン・・・沢田樹里(これはある意味覚えやすいw)

オーボエ/ファゴット・・・喜多村来南(きたむら くるみ)・・・最終話でファゴットを吹く来南さん美しすぎです

ピッコロ/フルート・・・姫神琴子・・・マッピを投げつけようとスタンばってたの別の子だっけ?


全くハナシが逸れますが、最終話でコンクールの客席に腰掛ける黒髪の女の子の描画があったけど、あの子って7話「なきむしサクソフォン」の回想シーンで、当時の3年生(現卒業)に練習するよう叱責する1年生(現2年生・退部済)の真ん中の子らしいね・・・どんだけフラグ立てるんだろうw

因みにその回想シーンにおいて、3年生(現卒業)達と菓子食って駄弁っていたのは我らが夏紀先輩と、後藤のカノジョの長瀬(夏木先輩ともども低音パート)なんだよね。どこでこの二人に差が付いたのか・・・単なる経歴?
c0360684_21352329.jpg

そんなこんなで本日も情緒不安定(小笠原部長に倣って)さ全開で1日を終えます。
そんな〆の糞画像は1992(平4)年2月28日に大船で撮影した(左)急行「東海3号」303Mと(右)211系の846Mです。因みにこの糞画像をupした明確な理由はありませんが、強いて言うなら211系の強化型スカートはホント似合いません!オリジナルが最高!ということです(何
[PR]

# by odoriba96 | 2015-07-10 21:42 | おまわりさんこっちです | Comments(0)
2015年 07月 09日

ユーフォのサントラ、瞬殺

ユーフォのサントラ、瞬殺


関連するやら管の糞ステマ記事はこちら


平たく言うと、昨日発売日の「おもいでミュージック」は瞬殺してしまったという事です。
ウチは密林の入荷日が確定できない事を不安視し予約を早々に解除し、当日の入手を目論んだわけですが、その昨日(8日)退勤後に某タワレコに立ち寄るも影も形も無く(その店舗はもともとアニメ系を扱っていないぽい)、それもそのはずで後で聞いたところCDのフラゲ(前日夕方以降)は常識であり、瞬殺アイテムであれば発売日の入手なぞもってのほかであるというのです。

思い起こせばウチが「けいおん!」のコンテンツに夢中になって数多のオリジナル曲やサントラを買い集めていた頃は、確かにそういった事情を把握していたのです。ホントいまさらですがw 先のやら管のステマ記事ではないですが瞬殺というのは誇大表現でも修辞でもなく事実であり、昨日夕刻以降時点での都内タワレコで在庫有りの店舗は渋谷店のみ(それも蒸発したぽい)で、目撃情報によるフラゲ日(つまり7日)の夕方に平積みされていたHMV池袋も蒸発と、まさに「瞬殺に偽り無し」の状況だったのです。

もとよりサントラ自体が売れ線のアイテムかというとそうではなく、もともと少ない供給量であったのが主たる瞬殺要因というのが専らの見方。そして供給がこれで終わりかというとそんな事はなく、ウチが取り寄せを依頼した某タワレコからの連絡によれば17日以降~再来週(つまり巷間の夏休み週)に入荷する見込みとのことであるので、その折を待つよりほかありません。

ホント、「ぬかった~」(←1話で久美子が道端のベンチでジュースを飲みながらつぶやくアレ)




次回予告:おむかえキハ55・・・どーなる?(謎


[PR]

# by odoriba96 | 2015-07-09 12:12 | おまわりさんこっちです | Comments(0)
2015年 07月 06日

記録/記憶/考察

先日のウチのロクニ記事を見た某氏が、同じ画角での記録があるのだという。要はウチの記録ではロクニ「能登」の並びは「あけぼの」であるのに、某氏の記録ではそのPFにヘッドマークが無いばかりでなく、当人の記憶では「八甲田」であるというのです。

結果的にはその某氏の考証記事の通り、「八甲田」に相違なかったとの事ですが、ウチ的にはやはり気になるのが「能登の停車中に「あけぼの」と「八甲田」が入れ替わっていたのか?」ということです。
c0360684_2018393.jpg

・1991年4月21日 上野 (再掲) EF62 49「能登」/EF65 1014「あけぼの」
c0360684_20183367.jpg

・1991年8月30日 上野 EF62 46/EF65 1017「八甲田」(※某氏の撮影ですが画像転載了解済です。三次転載は厳禁です)

ここで改めてその画像を対比してみましょう。
PFの停止位置が微妙に違うように見えますが、これはウチがかなり後退した箇所からの撮影で圧縮しているのでそう見えるだけで、実際は同じはずです。

日付はと見ればどちらも春の一斉改正後ですから「能登」のスジは同じであるわけで、となればやはり「あけぼの」「八甲田」の着発にカギがあると思われます。
c0360684_20261032.jpg

でもってここで登場したるはウチの蔵書!1992年3月号のJR時刻表です。
当該の事象から1年後というインターバルがありますが、この頃はまだ大きなスジの変更は無かったと記憶していますし、何より謎解きに値する材料が見つかったので使えると判断した次第です(何
c0360684_2028195.jpg

それより何より、信越本線が上野から直江津まで通し掲載とか涙で枕濡らしてもいいですか・・・これが当たり前やったんや。

それはさておき、各列車における上り列車の上野着の時刻と到着番線を上記資料から抽出します。

・「あけぼの」 6:29着 13番線

・「能登」 6:41着 14番線

・「八甲田」 6:58着 13番線

うーん、絶妙!(爆


都合の良い回想と思われるだろうけど、90年代アタマの上野駅における地平ホーム着長距離列車で、慌ただしく引き上げて行くなんてのは記憶にありません。どれも軽く10分以上は平気で停車していたはず・・・と考えれば、上記の如く「あけぼの」と「能登」、そして「能登」と「八甲田」がセッションしても不自然なところはありません。もっというと、上記時刻表によれば「能登」の後に14番線へ入線するのは1時間後の高崎線中電までありませんし、回送列車の類も記憶にありません(当時は呆れるようですが、ほぼ「毎週末」に本郷台から早朝の上野まで往還していたのです)。
c0360684_20382153.jpg

・1993年3月7日 上野 EF62 41「能登」/EF65 1021「あけぼの」

そんなこんなで、あんな事もあったな・・・と、朧気になりつつあるティーンエイジャーの記憶の片鱗に触れ、何とも懐かしい想いに満たされました。そんな締めの未公開画像は、もはや見飽きた?感のある「能登」と「あけぼの」のツーショット・・・ですが、撮影年月が「能登」の電車化直前ですから、この折まで組み合わせは変わらなかったということですね。因みにこの年の春改正で「能登」は電車化、そして同年12月改正で「八甲田」は事実上の廃止(更には「あけぼの」牽引からEF65とED75が降りEF81の通し牽引に変更)と、民営化後の夜行列車への大鉈振いの幕が切って落とされた、その元年であり忘れ難いものです。
[PR]

# by odoriba96 | 2015-07-06 20:49 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)
2015年 07月 05日

養老・たかやま・ユーフォ

細かい経緯は省きますが、先週の金曜日の退勤後、いつもの某氏をも道連れにして若王子会長様(のワガママによる)セッティングで新宿で席を共にしてきました。

場所はお馴染み養老でも今回は新宿、迷路のような地下通路から会長様の先導で地上へと這い上がれば辿り着いたのは「思い出横丁」。新宿の養老といえば先ず東口の24時間営業店舗が真っ先に思い浮かびますが、こんなところにもあるんだ・・・しかもFC店。

養老のFCってのは大抵看板だけでキャラは個性爆発。ここの店構えは小振りながら2階建で且つ年季が入っていて目茶目茶シブい。急角度/幅狭の屋根裏へ通じるような階段を上がって通された2階は、鉄ヲタにとってはさながらアリーナ席の様相!眼前の高さにちょうど国電の線路が路地一本挟んで迫り、行き交う列車を眺めながらの一杯という至福の境地が味わます。

店内はお世辞にも広いとは言えないものの、タイミング良く卓が空いていてビールグラスを傾ける事が出来ました。こういったところは誰のお陰かは知らないがツイているようです。その場でも話題になりましたが旅行の天候関係は最悪なんだけどね(爆

3人寄ればナントカの知恵ではありませんが、呑みの席での会話内容は大抵どうでもイイ事です。
今回は会話云々よりもウチ的に気もそぞろだったのは、やはり眼前の窓外を往来する国電群!
手前を行き交うのはオレンジやカナリヤの101系、その奥を掠めるのはウグイス色の103系。山手線は比較的新しめの車両が入りますが、それでも編成の真ん中あたりは非冷房だったり。今時期の非冷房はキツいよなぁなんてボヤいたら、101系は殆ど非冷房なのを思い出しましたw

雨に濡れる宵闇の新宿を駆けるのは通勤客を満載したカラフルな国電群ばかりではありません。
東北本線や高崎線へと直通する115系、松本へと向かう特急の181系、更には成田行の臨時特急の183系なんてのも来ます。そして一番のサプライズは最新鋭という埼京線205系の通過!

そんなこんなで一席はお開きとなり一同解散。
それぞれが北、西、南へと散って行き、ウチはといえば新宿駅構内の動線と不案内さにヘロヘロになりながらも何とか「始発 大船」の発車案内を確認!始発?そうか、あの金曜日運転の「花金電車だ」!時刻を見やればもう発車しているかなという頃合いですが、ダメモトで駆け上がればギリギリセーフ!

乗り込んだ大船行は211系で、ロングシート車に空席を見つけて落ち着きます。
横浜方面の直通列車は常に混んでいるイメージが強く、それこそ池袋で呑んだ帰りですら敬遠しわざわざ丸ノ内線で東京まで出るというぐらいのウチではあるものの、やはり始発が設定されていると快適度が全く違いますね。尤もこの時間帯が20分開いていると言うのがそもそも・・・なんですが。因みに発車時刻は確か22:31発だった筈です・・・メモメモ。

※上記内容にはフィクションが含まれます。苦情は受け付けません(何
c0360684_18192018.jpg

・1990(平2)年12月30日 高山 4712D キハ28 6002ほか・・・アコモ車登場直後です。

・・・とまあ、呑みの席での会話内容がどうでもイイとか宣いながらも、今回の本題はその内容に端を発したものだったりします。それは急行「やかやま」のアコモ車で、ピンクという使い方を誤れば糞と化してしまうカラーながら、新京成とは違ってソツなく纏めているよね的なハナシだったはず・・・です(ホントか?)。その「たかやま」、何とはなしにググったらトミックスからリニューアル品が出るんですねぇ。しかもウチ的に瞠目したのは車番印刷済みという事!です。

トミックスの(自称)ハイグレードはおしなべて車番転写の手間が付き纏います。そのインレタ転写自体は糊さえ劣化していなければ何でもないのですが、完成品においては全バラにしてクリアーコートする必要があり、且つその際にホコリを噛み込むリスクも生じるのです。完成品のホコリ噛み込みが云々とよく言われますが、ウチからすればマスプロ品は「そんなもん」と最終的に割り切れるのに対し、寧ろ手前での作業で噛み込む事のほうが何千倍も許せないのです。
c0360684_18233726.jpg

・大阪 日付不詳

では何故に車番転写済という快挙?が成せたかと言えば、今回の4両セット/3両セットの計7両が実車における「たかやま」色アコモ車の全てだから・・・でしょう。解説によれば編成は平時4連で繁忙期6連ですから、キロ1両は常時予備車であるとしても本体編成の繁忙期は事実上の予備車無し(波動用の非アコモ車も京キト(京ムコ)には在籍していたが)ですから、見様によっては随分綱渡り的だったと思います。それとも、もとより非常時には非アコモ車(当然ボックス席)の充当が前提だったか?

というわけで、やはり実車のソツないカラーリングと行路の約半分が架線下にして電車列車に伍して爆走し、キロも組み込んだ貫禄の編成、そしてウチにとって重大なファクターポイントとなる車番転写済という仕様から、高額を承知ながら購入を検討してみようと思います。但しフルの6連(+予備キロ)とするか基本4連のみかは未定ですが(汗
c0360684_18372639.jpg

先日、とうとう「ユーフォ」が了してしまったのは既報の通りです。1話から最終回まで1週間おきに神回が13話、8話から株爆上げで劇場版の様相を呈し、最終話では2期への伏線が星の如く散りばめられウチは息を呑んで絶命しました。結果、画像の通りでBDの最終巻(7巻)までとサントラ「おもいでミュージック」を予約しました(確約ではない)。

サントラについては発売日も近いのですが、発送日が確定できないのは注文が殺到したからなのか、何にしてもやきもきします。当日退勤後に求めた方が確実だったかも?因みにBDの1巻は最終話放映後には密林から枯渇しました(マケプレで一部の馬鹿がアホみたいな値段つけてるけど)。やはり最終話の衝撃と感動が多くの視聴者の琴線に触れたのでしょう。そして蛇足ながらもう一つ・・・録画視聴中の某氏へ。8話と最終話は特殊EDなので最後まで視るようにしてください(爆
[PR]

# by odoriba96 | 2015-07-05 18:53 | お出かけとかオフ会とか | Comments(4)
2015年 07月 01日

「そして、私達の曲は続くのです」

c0360684_2363034.jpg

ユーフォニアム最終話、了しました。

語彙の貧相さは容赦いただくとして、偽らざる所感。

「美しいものは、何あっても美しい」ということ・・・涙が止まらない。

ビジュアル、ストーリー、エフェクト、そのすべてが完全無欠であるかどうかといえば、二次元に関しては限りなく初心者滋味ているウチが断じることは憚られよう。

だが然し、確かに言えるのは「トータルバランスのとれた美しさが」群を抜いていたということ。

それは耽美的なものではない、まさに合奏の如く目に見えるものとそうでないもとのが綯い交ぜになって醸されるもの・・・なのだ。

現役吹部の令嬢を持つ某氏も録画視聴を始めたばかりと聞く。
ゆえ、バレが無い程度にこれまでの流れを評すれば(重複しますが・・・謎)、8話で大化けし、以降は全て劇場版。
そして最終話で中世古先輩(=中古先輩)は死後硬直状態とか(爆

c0360684_2312973.jpg

・1992年12月25日 上野 「能登」 EF62 41

「トータルバランスの美しさ」といえば、例えが9ミリで恐縮だが最近ではカトーの115系300番台や、トミックスのEF62田端運転所がその例に当て嵌まろう。

デザインだけでもダメ、カラーリングだけでもダメ、ギミックだけでもダメ・・・。
そんなヘタレ9ミリゲージャーの糞我儘を十二分に満たしたもうのが上記の2アイテムであるとウチは感じるのだ(あくまでも一個人の所感につき)。

EF62は数日前に過去画像を幾葉か掘り出したが、此度掲げるサイドビューもまた実車のかっこよさが滲み出ていて感慨無量。
画像上部に見える「禁煙区間」の掲示も今となっては信じられないだろう。当時は喫煙可能区間が殆どだったのだ。

そしてEF62を更に洗練たらしめているのは、JRマークの貼付が民営化後から廃車までとうとう無かったことだ。
これはEF63然りであり、信越ゆかりのこの両形式だけが何故別遇であったのか、その確たる理由をウチは知らない。

それは結果的にわりとどうでも良い事なのかも知れないが、その割に実車は横軽末期まで大した人気が出なかったのは皮肉すぎる。ま。そのお陰でかくもマッタリとロクニ「能登」とのランデブーを過ごす事が出来たのだ。永遠に還らない、ウチがうら若きティーンエイジャーであった二十数年前の記録である。
[PR]

# by odoriba96 | 2015-07-01 23:26 | おまわりさんこっちです | Comments(0)
2015年 07月 01日

ありがとう、UFOニアム

c0360684_053544.jpg

最終話が眼前です。そのショックで

ウチは寝込むかもしれない(爆



とはいえ、本当に久々にというか、深夜アニメにおける出色のタイトルを見せてもらったというのが偽らざる所感。まあ好みもありますが・・・。
ウチは楽譜も詠めなければリコーダーもしゃぶる以外に用いれない音響門外漢ですが、そんなんでも全話楽しめた事が凄いと思う。作画の安定感、脚本、演出、そしていたずらにマニアックすぎないところetc。

そんなこんなで・・・BD、もちろん全巻買いますよ!待ち遠しい!
[PR]

# by odoriba96 | 2015-07-01 00:11 | おまわりさんこっちです | Comments(0)
2015年 06月 29日

響け!MT46(着荷編)ほか

c0360684_1949999.jpg

トミックスEF62(田端運転所)の電撃入線から一夜明け、特に理由もなかったのですが別付パーツの類の装着を片づけてしまいましたw
c0360684_19491845.jpg

基本は取説通りですが、色挿ししたのはホイッスルカバー(青色)、列車無線アンテナ(明灰色)、そしてC’アンテナです。C’アンテナは濃灰の成型色のままですと本当にパッとしませんが、ステー部を車体色とこげ茶、アンテナ部を明灰色とすると見栄えがし、かなり男前になります。塗りのパターンは幾通りかあったようなので各自研究のこと。ナンバーは色々あって?ラストナンーバー54号機としました。

ケースへの保管ですが、C’アンテナを装着したままですと支障するのでケースの仕切りを一部カットし様子を見たものの、とどのつまりアンテナは取り外して別袋へと保管して収納するのが確実なようです。アンテナ自体は接着剤不要な程度でホールドされますが、ということは装着/脱着時にはそれなりの力加減を与えないと破損必至・・・大袈裟ですが扱い様によっては有り得ます。
c0360684_20223780.jpg

ロクニはこれぐらい?にして本題です(何
こちらは予め計画的予算で入手したもの・・・というほど大仰なブツではありませんが、鉄コレの101系各種でが本日着荷しました。中古で安く出ていたもので額面上は1両あたり¥400~¥500程度でした。
c0360684_20261382.jpg

先ずは秩父鉄道の1000系。
国鉄末期から民営化後までに纏まった両数が導入され、近年まで活躍していたのはあまりにも有名。モデルは冷房化前の原型を留めていた頃の旧塗装(チョコバナナ)仕様です。
c0360684_20282362.jpg

こちらは中央線仕様の4両セット×2。
クモハ-モハ-サハ-クハと一通りの形式がセットされた101系の入門用みたいな内容です(何
c0360684_20295227.jpg

次いで鶴見線仕様の3両セット。
非冷房時代の仕様で、パンタがチャチいものの可動式となっているのが大特徴です(同時期に出た201系あたりもそうでしたね)。
c0360684_2031446.jpg

鉄コレの101系は前述の可動式パンタ然り、発売時期によって進化が見られ興味深い面があります。割と有名かもしれませんがおさらい程度に紹介します。まずは前面、前照灯と尾灯が中央線(秩父鉄道も同様)仕様は一体成型であるところ、鶴見線仕様では別体となりレンズも組み込まれているのが一目瞭然です。左の中央線のカプラーが外れていますが、後でパッケージの中から発見されましたw
c0360684_2034227.jpg

そして側面。
中央線(秩父鉄道も同様)仕様の戸袋窓と客扉窓が細長いのに対し、鶴見線仕様ではイメージに近い適切な形状に改められています。鉄コレの101系はこの細長い窓でケチがついた記憶があり、それがちゃんと後発アイテムでフィードバックされたのは有る意味凄い事だと思いますが、正直このあたりは「しょせん鉄コレ」と捉えています。GM現行キットの東武8000系旧顔の表情が許せれば、大抵の事は許せるのです(大爆
c0360684_20371260.jpg

この期に及んでの鉄コレ101系入線ですが、まず発端となったのは「103系で1本造ってみたいなぁ・・・」と思った事で、GMのEVOキットを入手しての展開も考えたものの、103系といえばウチの生まれ育った本郷台で一生分ぐらい目にし接してきた存在。故にか、あのタイプもイイこのタイプもイイ・・・となって結局嗜好が纏まらなくなってしまったのです(何

そこで思い浮かんだのが鉄コレの101系で「これの塗装を落とせばEVOキットと変わらなくね?」というまったくもって理解不能なこじつけでMT50系からMT46へとスイッチし、手許の配置表やピク誌特集等各資料を読み漁った結果何とかなりそう?ということで、「素材」の入手へと至ったわけです。

前述の通り本郷台の出身でして、年代的にワンポイントリリーフとして活躍した(1978年迄)青22号の101系を目にしていても不思議ではないのですが、あまりにも幼すぎたようで記憶は欠片もありません。なのでウチにとっての101系といえば鶴見線や南武支線、そして秩父鉄道で乗り合わせた1000系となるわけです(旧ブログの鶴見線営業所訪問記はこちら)。とかいいながら、これらの14両から仕立てるのはガチガチの国鉄時代の非冷房車です(爆 まずは全車ともIPA風呂にご入浴いただくとして、具体的な納期は設けない主義なので完成はいつになることやら・・・。まあ次の運転会ぐらいまでにはなんとか・・・ですね。
[PR]

# by odoriba96 | 2015-06-29 20:48 | 9ミリ(国鉄・JR) | Comments(0)
2015年 06月 28日

Yes!!C-C軸(トミックスEF62・2次形田端運転所)

c0360684_22224076.jpg

能書きは言うまい・・・ではありませんが、本日退勤後に結局画像の如く富のロクニ2次・田端所をせしめてしまいました。それも1割引と割引率の低い淀で・・・。何が起こったのかは判りません(何
c0360684_22225217.jpg

それにしても店頭のウインドウ陳列時から目に付いたのはケース蓋のガバガバさ具合(爆
これは別付パーツてんこ盛り然りですが、車両を包むビニールのゴワゴワさというか・・・。まあ中華製EF66のそれよりは良さげなビニールですが、ゴワゴワさ加減では水を開けられたようです(何
c0360684_22245599.jpg

肝心のカマをビニールから御開帳してみますと、何ともはや「穴だらけ」の所感w
c0360684_22253014.jpg

それもそのはずで、モデルタイプが民営化以後にして且つ90年代以降の「C'アンテナ」装備仕様であるためです。C'アンテナ装備仕様は好き嫌いを厳然と分かちますが、ウチが実見したロクニはまさにこの世代であり、諳んじてツラツラとある事無い事?を語りつくせる数少ない対象だったりもするのです。
c0360684_22274994.jpg

まあ何だかんだ言うても、ちゃんとロクニしてますね。
手許の9ミリでは以前に富旧製品の2次形青ロクニを有していましたが、落下事故で車体を破損してしまい、折良く?渋谷の束急ハンズの模型コーナで富のロクニ茶色ボディのみの分売に遭遇し、それに換装し現在に至る経緯があります。カトーのロクニも有しては居ますが、あれは1次形・・・。その実、2次形の青色はずっと穴が開いたままだったので此度の入線に踏み切った側面もあります。
c0360684_22312936.jpg

モデルタイプはは晩年のロクニ。
して、それにマッチするような被牽引車があるかと思えば・・・ありました!守さんの形見の「くつろぎ」です。製造元は中華製で一癖無いとは言えないのですが(何 ジョイフルトレインの実車が極度に少なくなり注目度もめっきり減衰した今日にあっては、再生産の可能性が希薄な一品と言えましょう。
c0360684_22352377.jpg

・1997(平9)年7月5日 丸山 43号機+くつろぎ 9341レ

だからこそ?そこでロクニwithくつろぎをちゃんと撮っているのがウチ!
あの二十歳の頃、毎週のように本郷台から始発で坂本のストレートや丸山まで往還した日々を想起せずにはいられません。

ここまでも諳んじていますが、以降も諳んじての内容です(何
民営化後まで引き継がれたロクニは田端のそれで、機番は41・43・46・49・53・54の計6両。
うち、急行「能登」の電車化により41・49・53の3両が離脱し廃車となり、とりわけ41号機は廃車後も切り抜き文字ナンバーを剥がされた姿で田端所の片隅に留置され、目にも痛々しかったのを鮮明に覚えています。最終的に横軽廃止の1997(平9)年まで現役であり続けたのは43・46・54の3両で、54号機についてはロクニのラストナンバーということもあり、横軽廃止後もイベント用として動態保存のハナシもあったようですが結局叶わず、文化むらに静態収蔵というカタチで収まっています。
c0360684_22445641.jpg

・1993(平5)年1月15日 上野

それでは各号機を見てみましょう!
撮影日付はアルバムに準拠します。先ずは41号機・・・元気だった頃ですね。
c0360684_22461193.jpg

・1993(平5)年3月12日 上野

電車化が目前の「能登」の出発前のワンシーン・・・43号機です。
それでも21世紀の今日とは比較にならないマッタリ具合でした。
昨今の寝台列車最終日の大狂乱の類が全くもって信じられません。一億総キ◎ガイ化か?
c0360684_22495992.jpg

・1997(平9)年8月22日 横川

そして46号機。ヘッドマークの「999」が気になりますが、被牽引車は不明です。
この時は横川に降り立ったら「たまたま」遭遇したのです。まあ、昔も今も情弱というわけですな(大爆
c0360684_2251335.jpg

・1991(平3)年4月21日 上野

語呂が良くないがインパクトはある49号機です。
隣のPF「あけぼの」も懐かしいですが、この頃の上野駅における早朝からの撮影組ファンのターゲットは専らカン付き(要はヘッドマーク付き)のブルトレや優等列車であり、このロクニの「能登」のようなカン無しは、今となっては信じられないかもしれませんが、全くスルーされていたのです。しかしC-C軸のロクニのスマートさに憧れたウチにとってはまさに至福の刹那・・・独占状態でした。
c0360684_2256304.jpg

・1993(平5)年2月21日 上野

53号機です。お約束の「能登」ですね。
当時は小生意気にも画像の通り「フォトジェニック」さを狙っていたようですが、今見るとどう逆立ちしてもただの失敗作ですw それでもまあ、53号機を記録した証拠となっているのは皮肉ですが。
c0360684_22582842.jpg

・1997(平9)年9月5日 丸山 54号機+「ゆとり」+EF63-21/19 9531レ 12:52

画像は再掲の再掲(旧ブログから継続で)ですが、ロクニの栄えあるラストナンバー54号機です。国鉄末期の一時期?には片側のパンタを下枠交差型(PS22?)としていた異端機でもありましたね。前述の通り動態保存のハナシもありましたが結局叶わず、現在は横川でトップナンバーともども余生を過ごしています。

・・・と、フツーならここで終了ですが、クドさ満点のウチの語り部はまだ終わらない!
そう、横軽終末期の団臨駆け込みニーズにより、定期運用を有さないロクニの最後の3両が全て稼働した日が少なからぬ存在するのです。その全てを知り得ませんが、ウチはそのうちの1日である1997(平9)年7月6日に実見しています。
c0360684_2341991.jpg

・同日 群馬八幡~安中 12:24 54号機+ふれあいみちのく 9313レ
c0360684_2351252.jpg

・同日 群馬八幡~安中 12:43 46号機+スーパーエクスプレスレインボー 9315レ
c0360684_2355099.jpg

・同日 群馬八幡~安中 13:58 43号機+カヌ座 9317レ

当時は禿げ上がる程興奮しました(爆


まあ、そのお陰で20年後の今は程よく禿げかけていますがwww
蛇足ながら今回の富製品、付属ナンバーは43・46・49・54号機であり、終末期の3両プラス49号機となっているのは嬉しいというよりは必然ですね。別付パーツが多いようなので、時間を見つけて仕立てて楽しみたいと思います。
[PR]

# by odoriba96 | 2015-06-28 23:14 | 9ミリ(電気機関車) | Comments(4)