2015年 07月 12日
久し振りにマトモな鉄分記事です。ウェヒヒ 現在、北陸新幹線の東京~長野区間便の名称として用いられている「あさま」は、その時代時代のコンテンポラリーから在来線電車特急時代のイメージが強い向きが大勢かと思います。しかしここにきて、では「あさま」の起源は如何なる列車であったか?と問われて浮かぶイメージとなると、ピンと来ない向きもまた大勢でしょう。 その「あさま」なる列車が生まれたのは1961(昭36)年3月改正の事。「よねやま」(901D・904D)とともに903D・902Dとして新潟~長野間に新設された準急列車がその端緒であり、従前、普通列車で7時間を要していた同区間を実に4時間足らずで結ぶという、まさに「大気動車網時代」の寵児面目役如たるものでした。「あさま」を名乗るにも関わらず浅間山の麓まで来ない?というのは上辺のハナシで、実際には長野~小諸間は普通列車として連続運用されています(912D・913D)。 準急色も眩しいキハ55系の新潟機関区(新ニイ)所属車でデビューした「あさま」ですが、翌1962(昭37)年12月には名古屋~長野間の客車準急「きそ1号」と統合され、名古屋~新潟間を直通する急行「赤倉」へと発展を遂げます。「あさま」の名称自体はそれまでの準急「妙高2号」(夜行)の改称へと充てられ、DC準急で生まれた名称は1年少々で夜行客車準急へとたらいまわしにされます。 夜行通過区間であるがゆえに「車窓から浅間山の見えないあさま号」とかそんな皮肉が出たかどうか、はたまたそれにケチがついた?のか、翌1963(昭38)年10月の碓氷峠粘着運転開始に合わせて準急「あさま」は急行格上げのうえ「丸池」へと改称され、此処で「あさま」の名はとうとう一度お蔵入りしてしまいます。在来線電車特急以前の「あさま」のイメージが定着しないのはローカルさ然り、僅か3年における複雑な変遷もそれに輪をかけていると言えましょう。 その後は1966(昭41)年8月の直江津電化から遅れる事2ヶ月後の10月改正で、上野~長野間を結ぶ電車特急として181系による2往復が新設され、生まれ変わった「あさま」は新たなる歴史を刻み始めたのです。そして1997(平9)年9月に在来線から新幹線へとスイッチし、2015(平27)年今日の北陸新幹線開業後も長野区間便として「あさま」は健在であり、リスタートから間もなく50年を迎えるその名にエールを送らずにはいられません。 そんなわけで入線・・・無論中古ですがw 安ければ良いとも限りませんが、トミックスの近年のアイテム(敢えてHGとは言わない)は得てして高額なので、やはり廉価(とも限らないのですが)な中古市場に頼ってしまいます。此度のキハ55系ですが、実車のコンテンポラリーが1980年代までをカバーする(1986年まで活躍)急行色のほうが人気があるのに対し、準急色は旧すぎるのかそれとは対照的に比較的入手しやすい事もあり、M入り4連でほぼ基本セットの税込定価相当でした。 車番が相変わらずのインレタですが4両と両数もまだ少な目ですし、前述の通り「あさま」は新潟機関区受け持ちなのでその所属車番にしてみようと目論みます。以下は1961(昭36)年4月1日時点の新潟機関区におけるキハ55系の配置車番です(おもな充当列車は「あさひ」「月山」「あさま」「よねやま」)。 キハ55・・・213 214 215 230 231 240 241 242 243 244 245 246 247 (計13) キハ26・・・233 234 235 236 237 238 (計6) 「あさま」「よねやま」の信越国境越え然り、勾配線区への対策として当然のようにダブルエンジンのキハ55配置が多くなっています。編成は4連で基本的に3M1m(Mはダブルエンジン、mはシングルエンジンの標記)のようである事から、今回入線の4両もキハ55が3両、キハ26が1両の内訳としています。車両仕様ですが車番の通り全て一段窓車であり、バス窓車は配置無し。これも今回の入線に反映しています。 車番インレタの転写もさることながら、別付パーツの類も少々あります。 しかし早速の夏バテ?なのか、そんな気にもなれず・・・。積み上げる箱はいや高く、やがてそれらに埋もれ行く日も本当に来るのかもしれません(何 キハ55系準急色の実車における活躍期間は、1956(昭31)年以降恐らく1965(昭40)年頃までと察せられ、1986(昭61)年まで現役であった急行色と比すると何とも短命でした。その準急色から急行色へスイッチした製造年次ですが、二次資料のうえでは昭和34年度車(キハ55-138~、キハ26-122~、キロ25-14~、キロハ25-6~)とされていますが、例えば昭和34年度車であるキロ25-28やキロ25-43の準急色の記録(ピク誌№729)が残っていたりと、必ずしも資料上の解釈と実態が100%合致していたかどうかは疑わしい面もあります。 前述した通り、キハ55系における時代時代のコンテンポラリーは国鉄末期まで見られた急行色の比重が高いようで、トミックスの本アイテムについても市場での需給状態にそれが顕れているようです。しかし私的にはこの準急色は言うなればキハ55系に端を発したアイデンティティであり、寧ろ後発のキハ58系等にイメージをとってかわられた急行色よりもスマートに映え魅力を感じるのと共に、何と言っても模型的には蒸機との親和性がハンパ無いんですよね・・・。準急色の活躍期間たる1950~60年代といえば、国鉄線上の蒸機は北海道から九州まで掃いて捨てるほど溢れていたどころか、ヘタすりゃ山陽本線だってまだ蒸機牽引です(全線電化は1964年・・・和田岬線を除く)。
by odoriba96
| 2015-07-12 12:18
| 9ミリ(気動車)
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Comments(2)
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