赤い電車は臼い線

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2015年 11月 26日

さらば虹釜・・・そして

EF65 1118が長野送りになったようです。
我が本籍地にして、豊穣なる大地である信州長野を屠殺場の如く表現するのは本意ではないのですが、現状の実態からして止むを得ないでしょう。

そのEF65 1118はPFの虹釜として1998年に前任のEF65 1019からバトンタッチしたわけですが、本体たる「スーパーエクスプレスレインボー」(SER)が1987年から2000年までの稼動、つまりは専用機として1019号機が在任11年間の付き合いがあったのに対し、1118号機は在任17年間と長きに亘った反面、SERとのカップリングについては僅か2年間という極めて皮肉な相関のあることを見逃してはなりません。
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画像は1999(平11)年7月に運行された「敦賀港開港100周年記念 欧亜国際連絡列車」で、品川~敦賀巷間をSER+14系ハネが駆け1118号機が米原まで牽引しました。画像は大船での撮影ですが、1118号機のHゴムが白ですね。黒色しかイメージが湧かないのは昔を知らない証拠と断じますが、このような時期もあったという事を諸研究者は銘じるべきでしょう。機次位の展望車の後ろに続く客車が青色であるのに注意・・・これが14系ハネです。それと、奥に見える113系スカ色にもどうぞ失禁して下さいw
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その最後部。大船では停車時間がタップリあったので撮影にも余裕がありました。無論、私は車上の人ではありませんw
いまも昔も大船は地元の中の地元ですから・・・それだけです。奥に見える211系も既に界隈からは過去のものとなっています。
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こちらは2000(平12)年3月のSERさよなら運転。友人が鉄道友の会の会員であったのでその相伴でした。なので撮影場所も両毛線の何処かの駅ですが構内への立入許可を得てのものです(同列車にも乗車しています)。前出の欧亜~と比して瞭然なのは、Hゴムが黒色となっている事。いうまでもなくこの姿態が、以来2015年の今日までの長期間に亘ったわけですが、更には乗務員室冷房装置の屋上への追設など、本体死滅後も変化の続いた事は特筆に値しましょう。

虹釜は未だ95号機が残存しているのでこれで潰えたわけではありませんが、やはり客車あってこその専用機と思います。そう考えると15年前の時点で私の中の虹釜は終わっているわけですが、他方、先代PFの1019号機牽引「出雲」などイレギュラー運用あってこそとも勝手に思うわけで、まあ要は何でもイイのです(何 1019号機は「出雲」「瀬戸」「銀河」「あかつき」等の牽引実績があり、私は「出雲」を実際に記録していますが、今回は割愛します。まあキッカケがあれば・・・ですね。
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by odoriba96 | 2015-11-26 23:44 | 記憶のレール(国鉄・JR) | Comments(0)
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