赤い電車は臼い線

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2017年 02月 12日

あれから20年~京阪京津線併用軌道区間1997/2009・そこに鉄路は確かにあった

本年2017年は、国鉄分割民営化すなわちJRグループ発足から30年、そして信越本線碓氷峠区間廃止による在来線幹線の前例無き分断を伴った長野新幹線(→北陸新幹線)開業から20年等の、大きな節目となる事は鉄ヲタ諸兄なら周知の事とは思います。

そしてもう一つの忘れ得ぬトピックとして、京阪京津線の京都市内併用軌道区間の廃止を伴う京都市営地下鉄東西線の開業、これが1997(平9)年10月12日の事であり、これもまた20年の節目を迎える事となるのです。

弊糞ブログでは、旧ブログ時代の2009年2月に京津線廃線区間の廃線跡を探訪していますが、これとは別に過日、模型仲間ののび鉄氏が1997年7月の廃止3か月前の京津線併用軌道区間の記録をupされました。その画像の中には幾葉かウチの廃線跡探訪記事と撮影箇所が被るものがあり、極めて感慨深く、また興味深く思いました。

ウチは悲しいかな、京津線の併用軌道区間現役時代の姿を中学の修学旅行の折りに目にしただけで、当然それを記録した写真の類は一切ありません。当然乗車も果たせていませんから、現役時代を知らないも同然。他方、のび鉄氏は撮影目的で併用軌道区間を訪れ、また乗車も果たしています。この全く条件の異なる両名が、12年の時空を超えて撮影箇所が被るという事、それは偶然か必然か?

そんなジャッジメントが全く無意味に思えるほど変貌した京津線併用軌道区間、その12年のインターバルがもたらした激変ぶりを対比画像でお楽しみください。なお言わずもがな、以下における京津線併用軌道区間現役時の記録は全てのび鉄氏の撮影によるもので、全面的な許可を得たうえで弊ブログに掲載させていただくものです。
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2009年2月の御陵駅跡です。
画像奥が山科・浜大津方で手前が三条方。これより三条方向に進路を採りたいと思います。旧ブログ記事でも触れていますが、画像のプラットホームの上屋のようなものはモニュメント的カラーの強いものであり、現役時代のものが存置されているわけではないと思われます。
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1997年7月の御陵駅です。
国道1号線を渡った側から望んだ景ですが、角度的にはほぼ同一です。ホーム上屋は見ての通り、現役時とモニュメントとでは別物に見えます。正面に見える白いタイル貼り?の建物が廃線後も健在で目印になります。
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2009年2月の日ノ岡、奥が三条方です。
京阪バスのエアロスターKが走り去って行きますが、その先にある柵がエメラルドグリーンな外付け階段に目が行くかと思いますw それをアタマに入れていただいて・・・
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1997年7月の日ノ岡・・・完全に一致(爆
うっさい事を言うとウチのほうが浜大津方に寄っていますが、先の外付け階段のお蔭で同一地点との判断が容易です。廃線後は歩道が敷設されているのにも注意。
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2009年2月の日ノ岡~九条山間、手前が三条方です。
ここでウチは何故シャッターを切ったか?山越えの様相を深めつつある最初のカーブだったから?浜大津方のビスタが印象深かったから?
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1997年7月の日ノ岡~九条山間・・・答えはここにありました。
12年の時空を超えた対比をするために、あの場所でシャッターを切ったと言わざるを得ません。現役時の左隅に見える、屋上に白いハコを2個載せた薄茶色のビル、廃線後画像の真正面に見えているビルと一致します!凄い!ウチが2009年にカメラを構えたポイントは、現役時であれば線路内なのですね。
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2009年2月の九条山駅です。
ここは有名すぎるので場所が被っても当然といえば当然かもですが、そもそも撮影者が違うのですから被らない可能性もまた等しいのです。それはさておきですが・・・
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1997年7月の九条山駅です。
どちらの画像にも見える、右隅の階段と国道1号線の横断歩道が目印になろうかと思います。
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2009年2月の蹴上です。
ここは桜の名所だったようで、亡き友人もこの場所をモチーフにした路面カーブモジュールを製作していました。ここでの目印は画像中心よりやや右に見えるトンネルの坑口です。この坑口の上がインクラインの軌道になっています。
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1997年7月の蹴上です。
先のインクライン下のトンネル坑口が、80形の右に見えますね。
くどいようですが、ウチは京津線併用軌道区間の現役時代をほぼ知りません。ここまでの撮影場所で、現役の京津線の姿を一度も目にしていないのですから。しかし・・・2009年2月のウチは「ここに鉄路があったなら・・・」の一心でシャッターを切りました。それは本能的なものであり、やはり鉄路があった頃の記録にこうして接しますと、「その本能は直感であった」との念を強くする思いがします。

さて、のび鉄氏撮影の現役時とウチが撮影した廃線後各々の記録、その対比は以上となりますが、最後に一葉、のび鉄氏撮影の記録で極めて印象深いものを紹介させていただきたいと思います。
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三条付近で撮影された600形601F、手前が三条方です。
ここで着目すべきは車両ではなく、実はそのバックに見える「いろは旅館」なる櫛形看板を掲げたビルディング、何とこの「いろは旅館」、ウチが先に述べた中学の修学旅行での宿泊先だったのです!

ウチはこの画像を、実は2012年7月ののび鉄氏宅訪問時に目にしています。その折りの驚きは筆舌尽くしがたいものでしたが、偶然もここまで重なるともはや偶然ではなくなります。これ即ち、偶然か必然かのジャッジメントはどうでもよくなるのです。

その「いろは旅館」、当然客室からは眼下に京津線の姿・・・光の海に埋もれながらゆっくりと大きな車体をゴロゴロと転がす600形等、その光景はまさに衝撃の一言でした。それから幾年かが経ち、古都と湖都を結ぶインターバンへの焼けつくような想いは、やがて鉄道模型を通じて具現化できるようになったのです。

※追記:「いろは旅館」は一昨年の12月に閉館し解体されてしまったそうです。

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by odoriba96 | 2017-02-12 22:17 | 記憶のレール(民鉄その他) | Comments(2)
Commented by youroumania at 2017-02-12 22:21
こんばんわ
併用軌道・・・懐かしいですね。おいらは関西勤務の頃ここをよく通りました。
線路邪魔だったな(笑)

当時鉄ではなかったので記録はないですが再訪してみたいです。
Commented by odoriba96 at 2017-02-13 18:33
>養老さま
おはようございます。
インターバン、即ち京津線がここに線路を敷いた頃は1号線の交通量も知れたものだったのでしょうけど、時代は変わったのです。軌道撤去で単に道路車線が増えたのみならず、十分な幅の歩道が追設されているのに気付かされました。今昔対比で得る情報量の多さ、再認識した次第です。
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