赤い電車は臼い線

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2018年 06月 09日

或る都内入り(26年後の定点対比ほか)

表題の通りというか、ほぼ思いつきで本日「26年後の定点対比」を成してきました。とりあえずはキャプションと画像をご覧ください(何
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・1992(平4)年5月4日 有楽町

有楽町の内回り/北行ホームの南端から捉えた景。103系も113系も此の地から消えましたが、右上の集英社の看板にある雑誌4タイトルは今も健在なようです。やっぱファッション誌ってハズレが無いんでしょうか。
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・2018(平30)年6月9日 有楽町

集英社の看板はテナントが変わりましたが、周囲のビル群は驚くほど変わっていないように見受けられます。しかし車両だけは確実に変わっていて、先の103系からこのE233系までの間に209系が存在します。画角が35ミリ判の銀塩とコンデジとでは差が出るため、完全な定点対比にあらざる点はご容赦ください。
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・1992(平4)年10月10日 神田

中央線といえば201系、201系といえば中央線、そんな時代でした(何 神田の内回り/北行ホーム南端から捉えた中央線快速の青梅行、まだ東京駅が重層化されていないので画像奥で高架線の立ち上がりが見えません。
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・2018(平30)年6月9日 神田

「ピップトウキョウ」の櫛形看板は消えましたが、その奥の赤茶色のビルは健在、他方、遠景には高層ビルが・・・・と、地味に変貌を見せています。線路上でも保守用車のための乗り越し分岐器が中央線上り/内回りとの間に設けられていたり、ホチキス(線路間の「コ」状の黄色い柵)が建植されていたりと、四半世紀の経年は伊達ではないようです。
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・1992(平4)年3月29日 神田~秋葉原

道路上の万世橋から捉えた、神田川を渡河する東北本線(戸籍上)の景です。山手の205系も京浜東北の103系も過去のもの・・・ですね。当時、何故この景を私が撮ろうと感じたのか?それはあまりにも意外すぎたコンクリートアーチの存在が全てだったのでしょう。
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・2018(平30)年6月9日 神田~秋葉原

そのコンクリートアーチは今も健在ですが、フレーミングを決めるよりも先にシャッターを思わず切ってしまったのがこの景w 北行/南行、そして26年前は存在しなかった「上野東京ライン」の高架線を往く中電が収まってしまったのです。画像右のビル群に見える「(株)広瀬脱水機」の櫛形看板がなんといまも健在!それでいて画像左で26年前の景に見える木造モルタル造りと思しき建物は綺麗に消えています。撮影時間帯の相違からか、神田川の潮位が違うのにも注意。
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・1992(平4)年3月29日 御茶ノ水~秋葉原

中空のプレートガーダを往くイエローの103系は、運転室直後に戸袋窓を有す総武線ならではのブツ。手前の道路が道路工事的な柵で遮蔽されていて、歩行者天国エリアであった事が伺えます。画像左の石丸電気ビルの「CDラジカセフェア」に号泣の想いですが・・・手前の分離帯にある「万世橋」の標柱行灯にも注意。
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・2018(平30)年6月9日 御茶ノ水~秋葉原

石丸電気のビルは当時と同じようですが、分離帯の標柱行灯は消えていますね。中空のプレートガーダを往く電車も当然変わっています。それより何より、一番変わったのは此の地に限らずですが、良くも悪くも「人々の心」ではないでしょうか。
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その万世橋界隈、鉄ヲタ的にはかつての「交通博物館」所在地であり、且つ「永遠の休止駅」である万世橋駅の遺構が先ず思い浮かびますが、この界隈は数年前にエキュート化により小洒落た商業ゾーンに変貌しています。今回は、折角なのでそこを覗いてみます。
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・・・とまあ覗いてみたのですが、よくわかりませんでした(何
ですがただ確かだったのは、かつての万世橋駅ホームへと上がれる階段が2箇所設けられ、開放されているという事です。先ずは画像の「1912階段」から「2013プラットーホーム」へとアクセスしてみましょう。
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「1912階段」の、それは1912(明45)年の万世橋駅開業時に設けられた階段を指します。
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階段部は花崗岩や稲田石を削り出したものとの事で、往年の変状や欠落がそのまま残置されている印象です。壁面隅部の処理も石が埋め込まれ凝った意匠とされています。
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「1912階段」をホーム上に上がれば、その袂には装飾がみられます。
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かつての万世橋駅ホーム上、現在はカフェ?と階下からアクセスできるエレベータが設けられています。交通博物館(現在は大宮に鉄道博物館(Ⅱ)として移転)の閉館間際の頃、この万世橋駅ホームを謁見する機会がありましたが、あの時とビジュアルは変われど興奮が甦ってくる想いがします。
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カフェの反対側、即ちホームの神田方はフリーエリアであり、「1935階段」へと続きます。ホーム上からは画像の通りこんなシーンも・・・。
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「1935階段」の由来ですが、要はかつて東京駅に在していた鉄道博物館(初代、後の交通博物館)が隣接地に移転してきたことにより、駅舎が解体縮小され、それに伴って1935(昭10)年に設けられた・・・という事のようです。そのため、後発のチープさ?か、先の「1912階段」とは異なり隅柱の石積みの処理は無く、階段の踏面もコンクリートとお安く仕上げられています。
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その「1935階段」の踊場には、人知れず眠っていたという手書きの駅貼りポスターの複製品が貼られています。これが複製できるいうのも凄い気がしますが、詳しくは現地でご確認ください(投げやり そして「2013プラットホーム」ですが、要は2013(平25)年に整備・公開されたということでしょう。それから実に5年越しで、私はようやくこの開放された万世橋駅の遺構に触れる事ができたのです。
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そんなこんなで、少し遅めの昼食は対岸?の「肉の万世」で。屋号に「万世」が含まれるのがイイですね(何
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お約束の中古品ですが、画像のブツを入手したいかもというのも、都内入りの理由の一つでした。まあ、ルーティーンでの都内入り経由千葉入りとはワケが違うのです(何 とりあえずこれのレビューは気が向いたらですね・・・。

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by odoriba96 | 2018-06-09 18:44 | お出かけとかオフ会とか | Comments(2)
Commented at 2018-06-11 19:19
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by odoriba96 at 2018-06-14 15:52
>↑さま
おはようございます。
ポスターですが、画像の千切れた状態で発見されたようなので、これ以上の復原はままならなかったのではと思われます。
しかし、この手の構造物はゾクゾクしますね。まだ私の胎内には「血」が残っているのでしょうか。

>撤退作業
手広いですね~(何
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